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2012年8月26日日曜日

大学⑤医学部の偏差値推移(1985年と2012年比較 他)

前回専門職について書きましたので、今回も引きつづき、専門職関係のことを書きたいと思います。
今回は、上位層が医学部に流れている現状を過去と比較したり、他いろいろなデータを使って、はっきり示してみようかと思っています。

さてさて
最近、高校の後輩の大学生と喫茶店で話をしていた時に、びっくりしたというかやっぱりかと思うことがありました。
なんとうちの高校の理系の上位はみんな医学部を受験するとのこと。最近、そういう傾向があることは知っていましたが、そこまでかと思いました。後輩の言葉をそのままいうと、「理系の最上位クラスはまず医学部狙い。理系の1番はどっかの大学を落ちて東京医科歯科へ、2番は浜松医科へ、3番は東京慈恵会へ、その次くらいから東大を目指す」とか。
本当かよって思っていまいますが、それが現実のようですね。
私たちの時代や私たちの先輩の時代はちょっと違いましたからね。


表1は、ある地方の公立進学校のデータ(1980年卒と1990年卒)です。1980年卒ということは今年で51歳の方の時代で、1990年卒ということは今年で41歳の方の時代ということになります。ちなみに、この高校は1980年、1990年のどちらの年も東大へ現役浪人あわせて15名以上合格しています。
その学校の生徒の理系の順位と現役合格大学を表にしてみました。(表1)
 ・学年の全体順位ではなく理系志望者の学年順位で1位~70位までを掲載しています。
(学年で理系志望者は180名~200名程度と思われますので、その中での順位です。)
 ・あくまで、現役合格のみで浪人は入っていません。
 ・現役合格大学の表示は旧帝大+東工大か医学部に合格した場合のみ表示しています。
 ・あえて医学部合格の部分は赤字にしてあります。
これで当時の受験傾向や相対的な医学部の位置づけもわかると思います。
多分、これを見ると今と全然傾向が違うって感じるんではないかなと思います。

【表1】ある公立進学校の生徒(卒業生)の合格大学(1980年卒 1990年卒)





ほかにも、あといくつかのデータを掲載していきます。
偏差値データは、自宅に保管されていた日本の大学1993年度版(共同編集 河合塾 東洋経済)、日本の大学1999年度版(共同編集 河合塾 東洋経済)、栄冠をめざして2011 VOL.3(河合塾)を参照させていただきました。上記の資料に掲載されている偏差値データは1975年、1980年、1985年、1990年、1995年、1997年、2012年の偏差値データとなりますので、その年代のみとなります。

【表2】 国公立大医学部の偏差値推移
国公立大学医学部については、旧帝大、旧六医大(旧六)、新八医大(新八)、その他の順番で掲載しています。
大学の統合により名称を変更している医学部もありますので、その場合は、大学名の横に旧名称を併記しています。




【表3】 私立大医学部の偏差値推移


  
【表4】 難関国立大学(東大・京大・阪大・東工大)理工系学部の偏差値推移



 本当に、偏差値というのはその時々の世相というものはもろに反映しますよね。


お金がある家庭じゃないといけないと言われた私立の医学部もものすごく偏差値が上昇しています。私立大医学部だけでなく国立大医学部の上昇もすさまじいものがあります。私たちの時代の人間から見るとありえないくらい上昇しています。(製薬会社に行っている友人曰く、「私立の医学部は確かに学費がめちゃくちゃ高いけど、将来的に見れば、ペイできるよ。だから選択肢として私立の医学部もありだったんだよね~」と。)

5では、1985年と2012年について、46大学の国公立大医学部と旧帝大理工系学部の偏差値を比較してみました。
1985年の偏差値と2012年の偏差値は、母集団も違いますので単純比較はできませんので、1985年と2012年の単年で、比較してみました。また、国公立と私立も単純比較ができませんのであくまで国公立同士で比較しました。
 【表5】 


1985年では、阪大(理)のボーダーと同等かそれ以下(60.0以下)の国公立大医学部は46大学中37大学もあります。東大・京大の理工系学部のボーダーと同等かそれ以上(62.5以上)の国公立大医学部は46大学中9大学しかありません。
しかし、2012年になると、ほとんどの国公立医学部が東大・京大理工系学部のボーダーと同等かそれ以上になっています。
ということは、以前と比較して、圧倒的に上位層が医学部に流れているということですよね。



確かに、不安が多い時代ですし、たとえ良いといわれる企業に入っても定年まで大丈夫かはわからないですし。そもそも、いい大学に入ったからといっていい企業にいけるかもわからないですし。だから専門職の職業は人気になるのは当然だと思います。

ただ、ここまで医学部人気や専門職人気に拍車がかかると、他の産業(企業を含む)に優秀な人材が向かわなくなるので、日本の産業はどんどん衰退していくのではないかって不安になったりします。
例えば医学部のように先の道、将来が見えるというのが、職業選択をする上でも何より安心なのかもしれませんが、あまりに現実的すぎるような気もします。もっと、日本をこういう風にしたいとか、こういうものを開発したいとか、そういった大きな夢を描いて大学に進学していく生徒が増えてほしいなって思います。ただ、個人個人で見ていけば、そんな不確実な生活に流れてしまう可能性のあるような、夢想家のような悠長なことはいっていられない、将来の生活があるわけだがら現実的な進路選択をするよっていうことかもしれませんが。 

それにしても、(医学部の定員は多くはないので、そこまでドッドッと人材が流れている感じはしないかもしれないですが)優秀な人材が医学部をはじめとする専門職に偏っていくような人材の流れになっていくと、例えばこれまでは工学部とかに行って研究開発していたような人が医学部に行くことになるわけですかね~、あと理学部なんかで、基礎研究をすごく長い間積み重ねてきて研究に研究を重ねて、将来すごい発見をするような人も医学部に行く流れですかね~、う~ん、だとしたら日本の産業の危機ですね。


※追加情報
私立医大志願者10年前の1.5倍に(PRESIDENT Onlineより)
医学部の推薦・AO入試実施方法公開 多彩な「地域枠」(2013年度入試)(YAHOO!ニュースより)
かつてない広き門へ 今後8年間の医学部入試と「地方枠」とは?(Benesse 教育情報サイトより 2012年11月21日)
文科省、2013年度医学部入学定員の増員計画を発表(リセマムより 2012年12月10日)

2012年8月17日金曜日

専門職を目指す学生へ(特に高校生へ)  ~顧客目線で書く!専門職もいろいろと大変ですな!!~

近年、不況の影響で、理系や資格に直結する学部が人気となっているようです。
週刊ダイヤモンド(2012519日号)によると、「成績優秀な生徒の医学部志望の強まりは2000年ごろから顕著になった。」ようで、近年の医学部の偏差値の上昇具合には非常に驚いています。(多分、私たち世代の人間には理解できないくらい・・・)
特に、医学部(医師国家試験)に代表されるような専門性が高い資格・技術を習得できると直接就職にも繋がりますので、やはり学生の支持は高くなりますよね。国家資格ともなれば、独占資格ですので、やはり取得して将来に向けての安心感を持ちたいと思うのは、今の時代であれば当然だと思います。

さて、専門職といえば、いろいろな職種がありますが、今回は歯科医師にフォーカスして話をすすめていきたいと思います。なぜ、歯科医師なのか!それは、私は歯が悪く、本当にいろいろな地域で、いろいろな歯科医師にお世話になってきています、ということは、いろいろな歯科医師から治療を受けてきた経験、歯の状態に応じていろいろな治療を受けてきた経験があるということで、そして、そういった経験があるからこそ私自身は素人ではありますが、専門職の中でも歯科医師については他の人より語れるかなって思ったからです。あと、少々の治療(少々の虫歯とかでは、判断とか力量等っていうものはわかりにくいじゃないですか)では、その歯科医師のレベルとか諸々の事っていうのはわからないと思いますが、私のように、非常にやっかいな状態だからこそ見えてくるものもあるのです。
関係ない話ですが、現在、歯医者・歯科医院の数は非常に多くなり、歯学部に行って独立したからといって儲かるかというとそうでもないようで、厳しい時代ですね・・・

話は元に戻して、今回は、専門職が就職や将来の生活に繋がるかどうかという視点ではなく、歯科医師を例にとって、専門職に将来就きたいと思っている方に、専門職を目指すということはどういうことなのか、どういうことに心がけてもらいたいか、ということについて、いろいろな角度から自分が体験したとんでもないエピソードを交えて私なりの考えを書きたいと思っています。

ではでは、最近体験したとんでもないエピソードを交えて、お話をスタートしていきます。
なんか私の体の欠陥をさらすようで抵抗があるんですが、私は非常に歯が悪いんです。(子ども時代に近所の歯医者が下手くそで、大したことがない治療でも強烈に痛くて、それがトラウマとなって、痛くても歯医者に行かなくなってしまって、どんどん悪くなっていったということもあるんですよね。まぁ、それだけではなくて、生活習慣とかもあるんでしょうけど・・・)ブリッジだらけで・・・。だから、1つの歯を治療することで、他の歯にまで影響が出るってなってくらい悪いわけで・・・。半年前の私の歯の状態でいうと、左右上下の奥歯はすべて3連とか4連とかのブリッジです。特に、左上奥に至っては、本当は抜かなければいけない歯があるんですが、それを抜いてしまうともう新たにブリッジが入れられなくなるので入れ歯になってしまうんです、だから無理してブリッジにしてもらっているのです。(だから噛み合わせで強く当たらないようにしています。もうここが痛くなったら・・・・)
とはいうものの、その半年くらい前ですが、右上奥のブリッジを構成している1つの歯が虫歯になり、ブリッジが不安定になり、これは行かねばということで静岡市の中心部・街中にある(といっても繁華街ではないですが)、とある歯科医院に行きました。(紹介されていったので、初めての通う歯科医院です。)

 
あまり具体的に書くと悪口になってしまいますが、この歯科医院の歯科医師の先生は某国立大学・某国立大学大学院(どちらも偏差値的には非常に高い難関大学。)出身。そこの歯科医師の先生は、自分の持論に強いこだわりを持っていて、歯周病がどうだ、歯磨きの仕方がどうだってな感じのこと等をよく話されていましたね。多分、以前は研究メインでやられていた方のような感じがするので、自分の専門分野についてはいろいろと思うところはあるのかもしれませんが、そんなことをいうわりに技術力は未熟。(しかも医療器具をよく落としたり、ちょっと手先がくるって歯茎にあたったり、おいおい、ちょっとまずいんじゃないのって感じ)
当然右上奥のブリッジを治療のためにはずすのはいいんです。そのあとすぐにさらに右下奥のブリッジもはずしましょうと。これも確かに、根っこの治療が必要だと思うのでこれもいいです。でも上下ともほぼ同時くらいにブリッジ外して、仮歯状態にしておいて、まずは歯茎をよくしましょうなんて呑気なこと言って本来の治療はめちゃくちゃ遅い!勤務先の近所だったこともあり結構頻繁に予約を入れていったのですが、通ってから2ヶ月たってやっと右上奥のブリッジが入った・・・(右下奥はまだ仮歯状態・・・何ヶ月この仮歯のブリッジをこのままにしておくんだ!)この治療にここまで時間かかるのかよ、右下奥の根っこの治療に何回費やしているんだ、他の仮歯の部分が痛くなってきたぞ、おいおい、こんな装置使ってダラダラやった歯医者見たことないぞってな感じです。あと、薬の出し方も強烈で、この程度で抗生剤を出すのかと、しかもこんな沢山の量・・今までこんな経験ないぞ・・・。さらに、この状態なら抗生剤は必要じゃないかと思うときに出さない・・・
あとコミュニケーション能力にも問題があったと思います。こちらが伝えようとしても、全然理解しようとしない、受け止めてくれているという感じがしない、顧客のニーズを汲み取ろうとしていない・・・・しかも表情がない・・・
私の歯全体を見た時に、トータルでの治療計画にも問題があったと思います。1つのことに意識が行き過ぎて、全体を見通せていなかったということ。要はプライオリティに付け方に問題があったと。これは自分の技術力も勘案した時に治療計画としてどんな選択肢が一番ベストかということを決められるっていうことでもあるんですけどこれができていないと。(多分、これは自己理解ができていないからともいえると思います。自分の技術力を過大評価でも過少評価でもなく、しっかりとした評価を自分に下せていなかったと)自分の力だと、この選択をすると、ちょっと時間がかかるから、こういうやり方はやめて、あっちのやり方にするかとか。
結局、結論からいうと、時間がかかりすぎて、他の歯に影響が出てとんでもないことになってしまい、歯医者を変えました。(昔からお世話になっている先生のところに今は行っています。)懸念していた左上奥がはれて、最悪の状態。でも歯医者を変えても手遅れで、今もまだ、全然関係ないところを治療しています。もうガタガタになってしまいました・・・・

では、ここからは、このエピソードから顧客目線で私なりに専門職について書いていきましょう。

【この先生のこだわりが裏目に・・】
確かに、この歯科医師がいうように、歯周病とか歯茎がどうとかそういったことは一般的には重要だと思います。しかし、それはあくまで一般的には、と前置きがつくことであり、私の歯の全体の状態のことを考えた場合、こういったことにこだわることよりも、一刻も早く治療を完了させる、歯(全体の歯)の状態を不安定にさせないために迅速に治療を進めていく方が選択として重要だと私は思っています。専門職の人間としての「こだわり」や「専門知識」というのは非常に重要だと思いますが、それ以上に、目の前にいる顧客の状況を見て、状況に応じて治療方針を変えていくのが本当のプロだと思います。それができていないこの歯科医師はプロとして失格だと思っています。
例えば歯科医師でいえば、もし自分の「こだわり」を貫きたいのであれば、それを貫いても顧客を満足させる、顧客に迷惑をかけないだけのどの分野でもパーフェクトに対応できる圧倒的に高い技術力や・圧倒的に高い知識っていうものを持つべきです。そうであればOKだと思います。(そういう歯科医師にも出会いました。これはさすがだと思いました。)

これは「研究と臨床(=現場)」の違いでもあると思います。
【研究と臨床の違いとは・・・・】
多分、この歯科医師は研究志向だったんじゃないかなと。(確か研究論文とか書いていて助手かなんかやっていたような)研究であれば、自分の研究領域を徹底的に突き詰めていく、「こだわり」と持って突き進めていくということは大切です。それがなければなかなか研究なんてできません。ある種、狭く深くと、ギューっとその領域にフォーカスしてっていうことが重要なのかもしれません。ただ、臨床、要は現場で顧客を目の前にした時は、そのマインドがマイナスに影響してしまうのではないかと。あまりにも「こだわりすぎる」こと、全体を見ずに狭い1点に固執しすぎることでマイナスになってしまうというわけです。その専門性が活きるケースもあると思いますが、そればかりではありません。いろいろな状態な顧客が来るわけで、広い柔軟な対応が必要になってくるわけです。極端な話、「こだわり」を捨てても、顧客の状況に応じて、顧客にとって最善の対応になるように顧客志向に徹しないといけないこともあるわけです。(それが、結果的に、顧客満足に繋がるわけですから)。そういったこともしっかりと頭に入れてほしいと思います。あと臨床(=現場)ではやはりコミュニケーション能力というのも重要ですね。顧客を目の前にするわけですからね。まずは顧客が話しやすい雰囲気をつくる、そして顧客からニーズを引き出す、受け止める、そして顧客の状況・自分の専門性とあわせて、一番ベストなサービスを提供すると。あと、顧客にサービスを提供することにおいて重要なことの1つは、どれだけ多くの顧客を見てきたのかということです。いろいろなケースの顧客を目の前にしながら、いろいろな体験を積むということです。多くの体験を積んでいる人は、いろいろなケースを見てきていますし対応してきていますので、どんな顧客が来たとしても、冷静に、的確な判断ができると思いますので、最適な対応ができる確率があがると思います。どこの大学を出たか(偏差値うんぬんより)というよりも、どれだけの体験・経験をして技術や見識を磨いてきたのかということの方が重要だと思います。そういう方に診ていただきたいですね。
研究向き、臨床向きというのはあると思いますが、自分の性格や志向性等も考慮に入れて進むべき道を決めていただきたいと思いますね、でないと、なにより顧客が不幸になりますからね。

【専門職の方が持つプライド・・・・】
えてして、こういった人は、プライドが高いとも思いますので、たとえこういったことを他の人からアドバイスされたとしても多分、聞き入れないんじゃないかと思いますが。プライドを持つことは大事ですが、あくまで専門性が高いって思いこんでいる自分を否定されてプライドが傷つくから聞き入れないっていうのは、考えものですよね。いろいろ言われると露骨に嫌な顔をする・・・これでは困りますよね。
新しい知識を増やしていく意識、いろいろな経験を通して今までの価値観や知識の中になかったものについても柔軟に頭にいれていく姿勢、顧客に声に耳を傾ける余裕、何より、自分が失敗したなミスしたなということがあれば、それを謙虚に受け止め次にいかしていく姿勢、そうすることによって技術・知識も飛躍し、自信もつき、それは顧客にも伝わり、自然と顧客が増えていく、そんな循環になると思います。
専門性というのは資格を取ったら達成ではなく、資格を取ってからが本当に意味でのスタートです。プロとして一生勉強、一生自己研さんをしていかなければいけません。しかも専門知識といえど、時代とともにかわっていくものもあるでしょうから絶えず勉強ですよね。

【とはいうものの自信は必要】
自分の知識・技術には自信は持っていてほしいと思います。たとえ、現段階ではまだまだ自信を持てなかったとしても、目の前に顧客がいる以上は、思い切って自信を持って対応(治療)してほしいと。その姿勢だけでも顧客も安心しますからね。躊躇することで失敗するなんてこともあると思うので、自分が対応する(治療)するその瞬間は自信と思い切りですね。それ以外は謙虚さですけど。

【人間力も大事なんですよね】
それから神経質でなく、ある種おおらかさがないと。顧客を安心させてくれる、なんでも話せる雰囲気を持つそんな感じですかね。(顧客は専門職の人がなんか怖くて、言いたくても言えないこと、聞きたくても聞けないことってたくさんあるんですよね)これは、上記で書いたコミュニケーション能力にもつながると思いますが、専門職の人間力っていうもの重要ですよね。専門知識・技術があればいいんではなく、プラスで人間力。ここも磨かないと。


【権威と専門職について】
専門職という点について『組織の心理学』(19917月初版 有斐閣ブックス 著 田尾雅夫)のプロフェッショナリズムの項目にこういった記載がありました。特に赤字の部分。(「組織の中のプロ」としての記載なので、少し意味合いが違うかもしれませんが、大きな括りでは同じだと思いますので抜粋します。)
以下抜粋。
『プロフェッションとは組織の中で自律性が大きい職業である。そのためには、通常、専門的に高度な知識や技術を習得し、かつ、それを実際に活用できなければならない。グリーンウッド(1957)によれば、それは、医師に医学、弁護士に法律学のように、知識や技術の一貫した体系性を有し、それを教授する大学のような高等教育機関がなければならない。また、体系的であればこそ、いわば素人が容易に近づくことができず、彼らの無知に対して専門的な権威を行使できるのである。素人には可否の判断ができず、判断のための資料を入手できることもなく、判定する機会もない。さらに、そのような権威を得たプロフェッションは、名称や業務を独占することができたり、ライセンス・システムによって無資格者を排除できる。たとえば、治療は医師という称号をもたない人には許されないことであるし、その称号は国家が主催する試験に合格しライセンスを得なければならない。(中略)プロフェッションは、公益に奉仕している。その高度な専門的な知識と技術が多くの場合、いわゆる素人を対象にしているために、対等ではないサービス関係が成り立つ。素人の無知に対する、いわば一方的な支配関係にあるといえる。逆にいえば、勝手なことは許されないという倫理性が厳しく問われる職業である。』
たしかに、非常に多くの高度な知識や技術を有しているので、専門職の方のおっしゃることが正しいことがはるかに多い、ほとんどの場合正しいとも思います。そして素人の私達よりも当然正確で的確な判断をするとは思います。しかし、赤字のような「素人は容易に近づくことができず、彼らの無知に対して専門的な権威を行使できる、 素人の無知に対する、いわゆる一方的な支配関係」というものが専門職のおごりに発展すると、深刻な問題現象や予期せぬトラブルが発生すると思います。
 
権威という部分では
『影響力の武器〔第二版〕なぜ、人は動かされるのか』(20078月 誠信書房 ロバート・B・チャルディーニ)
の第6章「権威」の項目で、権威のもつ影響力の強さ、権威への盲目的な服従、単なる肩書きにも機械的に服従(これは、権威者に対して自動的に反応する場合、その実体にではなく権威の単なるシンボル、要は肩書き、服装、装飾品に反応してしまう傾向があるとのこと、さらに、いずれの場面においても、服従した人は自分の行動に及ぼす権威者の影響力の効果を過小評価しているとのこと。)してしまうということについて言及しています。例えば「専門職であるという権威」というものに人間は影響を受けやすい(その人のいうことに従う、間違っていないと思う)、ものすごい強い影響力を行使できる、支配関係を行使できるということだと思います。専門家のいうことは盲目的に信じる、疑問を持たないたとえ、間違った判断をしていたとしても、顧客側はそうは思わないということでもあります。無知な素人を言いくるめることもできるわけです。
専門職につくということは、権威を持つということ、それだけに、そう相応の人間性や顧客と向き合う上ので自覚・誠実さというものが本当に必要になってくると思います。
(※余談ですが、影響力の武器は本当におもしろい本です。承諾誘導のテクニックなんかも学べると思いますので営業マン志望の方は是非読んでもらいたい一冊ですね。)



【顧客志向について】
歯科医師に限らず、様々な専門職の仕事があると思います。そういった専門職の仕事の先には必ず顧客がいます。いろいろな専門職の方の仕事ぶりを見ていて思うことは(特に、一般の顧客を相手にする専門職を見ていて感じることは)、本当の意味で顧客1人1人に目が行っていないと思います。専門職の方でも人当りがよく、こちらの話を聞いてくれているように見える人もいますので、あたかも顧客志向のように見え、顧客のことをしっかり見ていてくれるって思いがちですが、実は全然見ていないというケースは少なくないと思います。それぞれの専門職の方が見ている顧客の数が多いというのも理由の1つだと思いますが。(これは私の実感だけですが。もっと顧客11人のことをしっかり見て、親身に診ていたら、もっと違った対応だろうって思うことも少なくないので。)
いずれにせよ、顧客志向の専門職がこれからの時代生き残っていくと思っています。顧客11人に目配せをするということは非常に難しいことですが、だからこそ、それができた時には、多くの顧客から支持されると思います。顧客数が多すぎて、なかなかそこまでできなかったとしても、(いくら頑張ってもできないことの方が当然です、簡単にできているっていえる人は、大概できていません。勘違いです!)できていない自分ということに真正面から受け止められるのであれば、それも形は違えど顧客志向といえると思います。できないにしろ、そういったスタンスを志すということが本当に大事だと思います。そうするためには、では、自分はどういったことを磨かなければいけないのかということを真剣に考えるということが重要だと思います。
逆に自分は選ばれた人間なんだとか、自分の知識や専門性を過信し顧客を無視した対応をするようだと、よほど優れた技術や知識を持たない限り、立ち行かなくなるでしょう。
この点は肝に銘じてほしいと思います。
現在は、インターネットや様々なところから情報が得られる時代になってきました。以前であれば顧客は知りえなかった情報や専門知識も、あらゆるところから得ることが可能になってきました。それだけに、情報が非常に少なかった昔と比べると、顧客側のいろいろなことを調べ研究し、賢くなってきたのではないかと思います。故に顧客が専門職を選ぶ目も厳しくなってきているので、専門職は大変な時代だと思います。



専門職を目指す、専門職に就くということはプロを目指す、プロになるということです。実は、資格が取れたから、卒業ができたからOKではなく、資格を取ってから、職業に就いてからが本当の戦いです。
いろいろな力が試されるわけです。そういった覚悟もしっかりと持ち合わせた上で、頑張ってほしいと思います。

専門職だから就職に有利、専門職だから人から指示されないからいい、勉強ができたからそっちの道にすすむ、権威的な仕事をしたい、的な人はやめてほしいですね。
自分が習得した専門知識・専門技術は、その先にそれを求めている顧客がいて、その要望を満たすことで仕事として成立するということをしっかりと覚えておいてほしいです。
だから、専門知識・技術を習得して、こういった形で貢献したいんだってイメージしている人は是非是非そういった道に進んでほしいと思います。



こういった医療の世界のことについて、このような形でタッチするのは何となく気が引けるわけですが、私が感じたことは感じたこととして、やはり表現するべきじゃないかと思い、思い切って書きました。まずはこの勇気を評価してください・・・
いろいろ書いてきましたが、こういった、他者の意見を踏まえながら、学生が将来の道を真剣に考えるきっかけになってもらえればと思います。それができれば、自分も思い切って書いた意味があるなって思います。

ただ、あくまで私見ですので・・・・お手柔らかにお願いします。
私の体験を通じての話なので、偏っている可能性は多いにありますが、こういった考えの人もいる程度に思ってくださればと幸いです。

最後に、今まで、本当によくしていただいた歯科医師の方もいましたので、そういった先生方には本当に感謝しています。そういう方の方が圧倒的に多かったです。彼らの名誉にかけてそれだけは言っておきたいと思いました。
今回のエピソードは特例だとは思いますが、でもこういうこともあるので気をつけましょう!

2012年8月6日月曜日

「いじめと中高一貫校」の記事を読んで

AERA(2012年8月6日号)の中で興味深い記事がありました。
それは『私立中高一貫校の「いじめ」』の記事です。(サブタイトル:「私立ならいじめはないだろう」と中学受験する親子は多い。だが、もちろん私立にもいじめはある。受験や親など、さまざまなストレスが背景にある。)


記事の内容と要約すると↓
記事では、私立は公立に比べ、いじめが少ないという結果は出ているものの、「私立ならでは」と思えるいじめも見られるとのこと。私立のいじめの状況やその構造について専門家の意見を交え、書かれている。「私立ならでは」と思えるいじめとは例えば、「楽譜が読めない」ことで浮いてしまう、外国暮らしのなさが逆にいじめられる理由になってしまうとか。いじめに繋がる理由として子どもの生理的欲求が精神に与える影響に言及している記述もある。いじめに関する評判は生徒募集にも直結するため、さまざまな対策を取っている学校も多いとのこと。最後に『私立だといじめがない、というのは幻想にすぎない。私立に通う子どものいじめについては、その学校「ならでは」の背景も考慮して対応することが大事だろう。』と締めくくっている。


今回、私は、記事の中の『公立は怖い。私立ならいじめで悩まないですむのでは(中略)特に東京などの大都市圏の場合、地域のいろんな子どもが集まる公立と異なり、入学試験で成績によって振り分けられる私立には均質な生徒が集まりやすいことが、こうした期待につながっている。(中略)厳しい受験競争を勝ち抜いて入学しても、すぐに難関大学の受験を意識せざるを得ないような私立の進学校では、知識で劣ったり成績が悪かったりする生徒をまるで「下等な人間」と蔑むような価値観があるようだ。(中略)似たような成績、家庭環境の子供が集まるからこそ、ちょっとでも異質だと攻撃される。ひたすら周囲から浮かないように、自分の成績を隠したり、本音を言わないようにしたりする子どもが少なくない。』この部分にフォーカスしてちょっと書いていきたいと思います。
この記述を見たときに、あ~、確かにそういう問題ってのは起こるよな~って思いました。
均質な生徒が集まったとしても、子ども達がみな同じというわけではありません。均質な生徒の集団の中で(他よりは差のブレが少ない集団の中でも)、例えば勉強であれば、その中で順位が出て、上、中、下という序列が生まれるわけです。要は、また差が出てくるわけです。また、勉強以外でも、均質ゆえに何かちょっとでも異質なものがあれば、際立つわけです。子ども達は、親の期待やプレッシャー等に、小さいながらさらされているわけで、やはり何かをスケープゴートにして自分なりのストレスのはけ口を見つけようとしているのでしょう。だからそういう問題って起こるよな~って妙に納得したりして。

この引用した記事に記載してあることって、私自身も国立の附属に入ったときに、こういった空気をビンビンに感じましたね。
公立と違い、国立の附属に入学してくる子どもというのは確かに家庭環境は似ていると思います。上流・中流の家で、それなりにお金があり、しかも親の学歴も高く、教育熱心な家庭。しかも子ども達もみんな大人びていた、そして価値基準は勉強ができるかできないかだった気がします。(記事ほど極端ではないですが。)公立の小学校から来た私にとっては、それがあまりにも異様に映りました。(それを入学した1週間くらいで幼いながらもそう感じていました。ただ、慣れというのは怖いもので、いつの間にかそれに馴染んでいましたが)公立の小学校にいた時は、中流の家もありますが、貧乏な家もあり、でもみんな楽しく生活していた気がします。子どもながら、その生身の人間同士の触れ合いというものを楽しんでいたような。そして、勉強ができることも特技の一つだが、それ以外にも、おもしろい奴、スポーツができる奴などなど、それぞれをいいところも悪いところも無意識の中で個性として尊重していたような気がしました。
そういう公立の世界を知っているだけに、余計に異様に感じたんだと思います。あまりにも価値判断の基準が狭いと・・・

同質性というのは、何かやる上では意思疎通が図りやすいので、そういった意味では非常によいと思います。ただ、無意識の中で同質性を求める圧力が強くかかり、異質なものを排除する、異質なものを攻撃対象にするという方向性に振れてしまうと本当によくないなって思います。また、価値判断基準が何か1つの偏るっていうのは考えものだと思います。多様性を認める、自分と違う人を認める余裕・懐の深さを身につけることは社会に出てから非常に大切だと思いますので。

私自身、中高一貫は、似たような子どもが集まるので意思疎通が図りやすくていいと思っていましたが、こういった側面を見ると、う~んって考えてしまいますね。均質な集団だろうと、いろいろなタイプの人間がいる集団だろうと、人が集まれば、どこにいってもこういう問題が起こるっていうことなんでしょうけど。
だったら、公立でいろいろな人間の中で揉まれるっていうのも、実はその後の人生においてはいきるのかなとか思ったり。(いい取り方をすると)
ただ、親御さんとしては、安心できる環境に子どもを通わせたいでしょうから・・・・難しい問題ですね。

記事の一部をフォーカスして今回書きましたが、もし詳しくご覧になりたければ、バックナンバーを見てみたらいかがでしょうか。ハッと思う事例が他にも掲載されています。

2012年8月5日日曜日

受験する大学の選び方

受験する大学を選ぶっていうのはいろいろ悩みますよね~。
大学の選び方として、私がいつも思うことは偏差値だけで大学を判断しないで、様々な角度から大学を見て検討していってほしいと思っています。

1979年の共通一次試験の導入後、偏差値による大学の序列化が進み、偏差値という画一的な基準で大学選びをすることが加速しました。そして、それと同時に、今まではあったそれぞれの大学が持つ独自性や強み、良さをいうものも薄れてきた気がします。
偏差値というものは、自分の相対的な位置を把握するものであり、自分の現時点での実力を客観的に把握するためのツールとしては非常に重要です。そして偏差値を見て、自分の合格可能性を客観的に判断し、受験先の大学を決めるという点ではよいと思います。
偏差値を合格可能性の知るための1つのツールとして使うのであればよいのですが、偏差値が高い・低いというそれだけをみて、それを大学の価値に置き換えて、大学選びをするということは少し安易ではないかと思っています。
それはなぜか、と言えば、偏差値という数字だけでは見えないそれぞれの大学の特徴があるからです。
従って偏差値だけで大学を選ぶのではなく(偏差値を意識することは当然ですが)、それだけではない、それぞれの大学の真の姿をいろいろな角度から見てみた上で、自分に一番あった・自分の将来を考えた時に一番最適な大学を選ぶということが大事だと思います。(どうしても高校生のうちは、偏差値で12ポイント高い低いとかそれだけで大学の優劣を決めてしまいがちですが、社会に出てからは、その程度の違いなんて全然関係ないですからね。)

最近は大学受験のガイド的なものとして
『大学ランキング2013年度版』(朝日新聞出版)、
『大学図鑑!2013』(ダイヤモンド社 監修:オバタカズユキ)、
『最辛大学ガイド2013』(中央公論新社 著:石渡嶺司+山内太地)
など多く出ています。様々な切り口で大学を見ることができるので非常に参考になると思います。少なくともこの3冊は見る価値はあると思います。(『最辛大学ガイド2013』は昨日初めて本屋で見たのですが、想像以上に的確なことを書いてあったので思わず買ってしまいました。)
他にも、建学の精神で知る「大学の力 2013」(朝日新聞出版)っていう建学の精神を軸にして大学の紹介をしている本も出ているんですよね~。面白い!
以前は『日本の大学』(河合塾 東洋経済 共同編集)という本がありましたが、もう10年くらい出版されていないような・・・。この『日本の大学』という本は、私にとってはそれぞれの大学の特色を掴むために最適な本でしたが、最近は出版されていないので本当に残念ですね。読んでもらうとわかりますが、様々な視点から大学を見ていますし、とにかく素晴らしい内容です。完璧な内容です!!!          


『別冊宝島322号 学問の鉄人 大学教授ランキング文系編』(1997年 宝島社 編著:河合塾)という本もありました。本邦初!全国の教授・助教授へのアンケートによって選ばれた学者と大学を大公開!とのことで、どこの大学でどんな学者がどんな研究をしているのか、だれが重鎮で、どう評価されているのか等がわかりました。私がどの大学院を受験しようかと考えていた時やどの専門書を読もうかと思った時とか非常に参考にしました。いい本でした。

他にも、河合塾等の予備校の情報誌、Kei-Net(河合塾が提供する大学情報サイト)に代表されるような予備校等の教育情報サイトでも大学受験情報は見ることができます。
あとは、
JS日本の学校(日本一の学校情報)、
リセマム (ResearchするMomとつくる保護者&教育関係者向けサイト)、
ベネッセ教育情報サイト、Inter-edu.(保護者のための受験と教育の総合サイト)などもあります。
大学通信のものでは他にも携帯電話キャリアの公式サイトにもなっている「教育進学総合研究所」というタイトルのサイトがあり、今どきの中学・高校・大学受験を解説しています。私も登録してたまに見ていますが、「ここでしか見られない?オリジナルランキングを公開」とかいって、就職率ランキングや、はたまた50年前の京大高校別合格者ランキングなど様々なランキングも公開しています。いろいろな用途に活用できると思います。月額315円かかりますが、私は結構気に入っています。
学校探すならここ!(全国の小学校から大学のホームページURLを紹介)→こういったサイトがあると、簡単に全国の学校をアクセスできるから便利ですね。

こんな感じでいろいろな情報を集めて、偏差値だけでなく、いろいろな角度から見ていくことは大切ですよ!

周りに薬学部を受験したいっていう子どもを持つ親がいるので、勝手に薬学部を受験するとしたら、どんな角度から考えるのっていうのをちょっとやってみようかなって思っています。
例えば、薬学部を受験するとしたら
・まずはその生徒のレベル(例えば河合塾の全統模試で偏差値どれくらいかとか)、得意な科目、苦手な科目がどれくらいのレベルか
・将来の方向性(例えば企業に入って研究したいのか、薬剤師になりたいのでとか)
・そして目指す大学をいくつか決めていく。大学を選んでいく際に見ていくこととしては→4年制か6年制か、大学の難易度・受験科目・受験方式、それぞれの大学にある学科や定員数、大学の沿革、環境面(例えば、医学部を持っている大学かどうか、要は系列病院を持っているかどうか)、国家試験の合格率(国立はどちらかといえば研究の色が強く、私立はどちらかといえば、国家試験の合格を目指すことが多いので一概に合格率だけでは良し悪しがわかりません)、大学での教育内容(研究に力を入れているのか資格取得に力を入れているのか、勉学志向はどうか、教授はどんな教授がいるのか、大学院進学率はどうかなど)、立地や設備や交流大学などの生活に関わる面はどうか、先輩はどんな会社等に就職しているのか、就職率はどうか、就職した先でどんな仕事をしているのか(今はどうかわかりませんが、私達の時代だと、旧帝大、金沢大、静岡県大くらいのレベルの薬学部の大学院を出ていないと、大手企業の研究所には入れないという話も聞いたことがあります・・)、著名なOBはどんな人がいるのか、どういった高校から入学してきているのか、在校生・卒業生の評価は、高校からの評価はどうかなどなど。
さらに近年では、大学の乱立や少子化の影響で経営難の大学も増えているようで、財務状況(帰属収支差額比率、人件費比率、教育研究費比率、流動比率、内部留保比率等)とかまで見て大学を選ばなければいけない時代とも言われています・・・。
あと学費ですね、私立大学の薬学部は私立大学の医学部・歯学部に次いで学費が高く、初年度学生納付金平均額は200万を超えていますから・・
薬学部だと「薬学部へ行こう!」っていうサイトもできているんですね。

そして、目指す大学に向けて、計画を立てて、突き進んでいく、勉強をしていく・・・こんな感じですかね。

さてさて、
素人ながら、いろいろ調べてみると、昔の感覚で進路アドバイスなんてできないくらい複雑になっています・・・。なんでこんなに複雑にしてしまったんでしょう・・って感じです。


最後にKei-Net(河合塾が提供する大学情報サイト)の「これが最新!大学入試動向」の中にこんなことが書いてありましたので、抜粋して紹介します。特に赤字にしてある部分は本当に大切な姿勢だと思います。
以下抜粋
『(中略)学部系統の人気にも不況の影響が見られます。近年人気なのは、理系と資格に直結する学部です。不況の影響から大卒の就職も厳しく、卒業後に就職が見込めそうな看護などの医療系や教育といった分野で、とくに志願者増加が目立ちます。このように社会情勢は大学入試の傾向にも色濃くあらわれているのです。
 大学・学部の人気や難易度は年々変化しています。保護者の方が受験した頃の印象でお話をされると、お子様と会話がかみ合わないことがあるかもしれません。そういったときは、ご自分の持つイメージをお子様に押しつけてしまうのではなく、世代間のギャップを冷静に受け止める姿勢が必要です。』とのこと。

2012年8月4日土曜日

目標設定とモチベーション

昨日(83日)に、名古屋にある私立T高校の校長先生とお話をしている中で、たまたま目標設定についての話が出たこともあり、今回は目標設定(そしてその後の関わり)とモチベーションについて書いていきたいと思います。
これは、会社においての部下のマネジメントの場面でも、学校教育においての生徒指導の場面においても非常に重要なテーマだと思います。

まず、目標設定についてですが、その校長先生もおっしゃっていましたが、「目標を設定する場合は、ちょっと高い目標を設定してあげるのがベスト」だと。私もその通りだと思います。(目標が低すぎても、あまりやる気が出ない、逆にべらぼうに高い目標だと、やる前から「無理だ」っていう意識が働き、やっても無駄って思ってあきらめてしまうんですよね~。)
ただ、この「ちょっと高い目標を設定する」というのが、言うのは簡単ですが、実際やろうとすると、実は非常に難しい。なんでかといえば、個々に対して目標設定する上で、把握しておかなければいけないことが多いからです。
何を把握しなければいけないか。このことについては目標設定する場合に重要なことということで、以下、ちょっと書いていきます。(そこから関わりとかモチベーションを絡めた記述もしていきます。)

まず、目標を設定する場合、重要なのは2つだと私は考えています。
1つ目は、対象となる部下(生徒)の現状をしっかり把握すること。現状とは、その部下(生徒)自身の能力や資質とかは当然のこととして、それだけでなく、価値意識やその人を取り巻く環境も含めて、事実ベースではっきりと現状を把握するということです。
2つ目は、設定する目標の難易度をしっかりと把握すること。これは、目標自体の難しさ(達成のしにくさ)ということはもちろんのこと、目標の達成に至るまでの周りの環境・状況の含めてその難しさをワンセットで把握することです。
この2つがしっかりと把握できていれば、部下(生徒)の力(現状)と目標との乖離具合がはっきりわかりますので、設定する目標が、ちょっと高い・ちょっとストレッチする目標なのか、それとも非常に高い目標なのか、はたまた、逆に部下(生徒)にとっては、あまりやる気にならない低い目標なのかということがわかり、本当の意味で、その部下(生徒)にとってちょうどいい目標を設定してあげることができます。

こういう2つのことを、会社でいえば上司、学校でいえば先生がしっかりやっていれば、部下(生徒)がやる気を出せるちょうどいい目標設定ができ、さらに目標設定してその部下(生徒)が目標に向けて動き出した後(目標を目指していく過程)の関わりにおいても、その部下(生徒)がやる気を出せる・モチベーションを維持できる関わりができると思います。
ただ、現実的には、部下(生徒)がやる気を出せるようなちょうどいい目標なんて、なかなか設定できるものではありません。だとした場合、じゃあダメじゃんってことになりますが、そうというわけではありません。たとえ、非常に高い目標を立てて、その部下(生徒)に要求したとしても、上記の2つのことをしっかりやって目標設定をしていたのであれば、上司(先生)が、非常に難しいチャレンジをその部下(生徒)にさせているんだということを実感を持って理解できているし、又そのことを部下(生徒)も、上司(先生)との会話の中で感じ取ることができるので、納得の上で部下(生徒)も非常に難しい目標に対して安心してチャレンジができると思います。(だからOKだと思います。)また、上司(先生)が、非常に高い目標にチャレンジさせているという認識があれば、その目標までは達成できていなくても、その部下(生徒)の力からみたときに非常にいい成果を出していると感じられれば、素晴らしいとほめることもできるでしょう。そうやって小さな成果や向上に対して素晴らしいといって確定させていくことはその部下(生徒)のモチベーション維持にも非常に有効だとも思います。(上記の2つのことができていないで、ある種恣意的にというかこれくらいやってもらわなければ困るという感覚で目標を設定した上司(先生)だと、非常に難しい目標にチャレンジさせている自覚がないので、まだ目標に達してないじゃないかと責めたり否定するばかりになってしまいます。確かに目標から見るとまだまだでもその部下(生徒)にとっては非常によい成果を出している場合も多く、それを見逃してしまうことにもなりますのでモチベーションの観点からも大きな問題です。さらにもっと大きな問題として上司と部下、先生と生徒の間で目標を巡って両者の間でギャップが継続していくと、部下(生徒)のモチベーションに大きな負の影響を与えることに繋がります。例えば、その部下(生徒)の心の中に、上司(先生)は自分のことを全然わかってくれてないって感情が生まれ、時間の経過とともにどんどん大きくなり、もはや修復ができない状況に陥り、上司(先生)に対しての信頼感もなくなっていく、そしてどんどんその部下(生徒)のやる気は失われていく、まさしく負のスパイラルに突入します・・・。)

本当にこの目標は高すぎた、これは本当にきついというのであれば、部下(生徒)と話し合いの上、下方修正すればいいと思いますし、2つのことができていれば、双方納得でスムーズ目標の修正もできるでしょう。


ちなみに、私が今までの人生で見てきた中で、自分に自信のある上司とかは、意外とこういったことができていないと思います。だから、自分に自信あるかなって思う上司(先生)は注意が必要かなって思ったりします。多分、こういう自信のある人たちって過去の成功体験をひきずってしまっている人も多いですし(今の現実を直視できない、もしくはする必要がないと思っている)、自分の価値観に縛られすぎている人も多いからじゃないかなって思います。だから本当に注意が必要だと思いますね!こういった上司のせいでつぶれていった人を多く見てきましたし。(しかも、こういう上司って相手を受け入れることをしないで否定から入るんですよね。自分の考えが常に正しいと思っている・・。自分にとって価値がないと思うものでも価値があるものは世の中に沢山あるし、自分の知識・体験には限界があるわけで何事も自分の価値観に縛られるのはよくないんですけどね~。こういう人って謙虚さがないんですよね。)

まだ書きたいことはありますが、ここまでにしておきましょう!



最後に、こういった類のことを書いてある専門書から関連性のある内容を私の考えも交えて抜粋?(修正しつつ抜粋)して記載します。参考まで。
参考文献:『モチベーション入門』(1993年日経文庫 著 田尾雅夫)、
          『組織の心理学』
19917月初版 有斐閣ブックス 著 田尾雅夫) 
●期待説
モチベーションの理論には大きく分けて2つあり、欲求説と過程説がそれにあたる。その中で過程説の一つである、期待説(→モチベーションの強さを①努力すれば相応の成果が得られそうだという期待と②その成果がその人にとって価値がある程度を表す誘意性、この①と②を掛け合わせたもの、と考える説。具体的には、少し努力すれば手に入りそうなもので、しかもそれが自分にとって必要なものであるほど、それを得るために動機づけられ、それを得ようと行動したくなる。①と②を掛け合わせるところがミソ。)は、モチベーションに関する様々な学説同様、いくつかの問題点は指摘されていますが、動機づけの考え方の中ではもっとも信頼性が高いようである。
●パス・ゴール・モデル
このモデルでは、リーダーがどのようにフォロワーを動機づけ、満足させているかに主要な関心が向けられた。フォロワーを動機づけ、満足させるために、リーダーは彼らに目標の達成に至る道筋を明確にしなければならない。通路、つまり、パスの明示化である。
このモデルの大筋は、期待説を下敷きにしながら仮説を展開している。フォロワーを目標に向けさせるためには、その目標がそのフォロワーにとって達成可能であること、そして、達成によって、そのフォロワーに好ましい成果が入手できそうであるとの見通しがなければならない。その見通しをつけるのが、リーダーシップである。流れとしては、状況要因(フォロワーの特性、タスク特性、権威システムの状況)から判断し、指示的、支持的、参加的、達成指向的の中でどのリーダーシップを選択するか決め、実行し、フォロワーを目標に向けさせるという感じ。パス・ゴール理論で肝要な点は、リーダーシップはフォロワーに受け入れられなければ用をなさないことである。フォロワーが望ましいとしているものを提供できなければならない。彼らを満足させなければならない。またフォロワーのニーズに合致するような、または、不足なところを補うようなリーダーの行動はフォロワーを動機づける。合致しない、あるいは、余分な行動は動機づけないだけではなく、リーダーの立場をフォロワーが受け入れなくすることになる。目標達成もおぼつかない。

またこんなことも記載してありました。なるほどです。以下抜粋。
(中略)モチベーション管理は大切である。組織は人の集まりであり、人がいなければ組織は成り立たない。モチベーションについて考える場合、組織を構成する人間が、組織のいうがままではなく、それぞれに個性を持って存在していることに目を向ける必要がある。本来組織のメンバーとは、能力や資質だけでなく態度や価値意識までも含めて様々である。それを認めないようなところでは、個人と組織はお互いに不信感を抱くようになる。組織の中の人間行動は、本来、情動に支配され、非合理である。ホーソン研究にはじまる人間関係論や、レヴィンの集団力学、またマズロー以後の人的資源論では非合理が見直され、人間らしさを読み込まない限り効率的な組織経営はあり得ないとまで考えられるようになった。
特に組織と人間をめぐる新しい状況として組織のインテリジェント化があげられる。組織は従来以上に高度の知識や技術を必要とし、人間もまた、高学歴社会の中で、それに応えながらインテリジェント化をすすめている。このような組織ではメンバーはそれぞれ独自の価値関心にもとづいて態度を決め、行動する。個々のメンバーは指示や命令に応諾するだけの人ではなく、自らの意図関心を定め態度を決め、行動することとなる。誰でもかまわない、素直に従う人であればという代替可能性を前提にした管理論は用をなさなくなり、個々のメンバーの個性に見合った視点が必要になる。