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2012年12月30日日曜日

人に歴史あり、そういった中で形成されてきたものを見つめよう

人はみんなそれぞれの自分史っていうものがあります。

生まれてきたときはまっさらであっても、その後、いろいろな経験や体験やいろいろな人との関わりの中で、それぞれの人が、それぞれの見方・感じ方を身につけて、その人の個性やその人らしさを形作っていっているわけです。
だからこそ、どういったバックグランドの人なのか、家庭環境も含めてどういう環境で生きてきた人なのか、どういった仲間がいるのか、どういう経験をしてきた人なのか、その中でどういう価値観や見方・感じ方を身につけてきた人なのか、どういう思いのある人なのか、それはどの体験に紐づいているのか、どういった選択をしてきたのか、それは何を大事にしたからできたことなのかとか、そういったことについて関心を持って見つめていかないとその人っていうものを理解できないわけです。(これだけやっても理解できないのが人間ですが・・・奥が深いわけです。)


同じ事実を見て、同じような感じ方をすることもありますが、同じ事実を見ても、違う感じ方をすることもあるわけです。(逆に全く同じ感じ方をするっていうことは皆無だと思います。)だって、それはそれぞれが歩んできた道も関わってきた人たちも違うから当然のことですよね。でもそれこそがその人それぞれのらしさであり個性ですよね。


以前、モチベーション研修(?)のファシリテーターをやっていたときに、「自分が生まれてから今に至るまでの履歴」を書いてもらうということをやっていました。
履歴には印象に残っている出来事・節目になった出来事を思い出していただき事実のみを記入してください(感じたことがあればその横に記入してください)っていって書いていただくわけですが、出来上がったものを見ると、人それぞれなんですよね。(中身について、おぉってこの人がこんな経験をしているのかっていう予想外の経験をしていることも多々ありますし。)書く視点も人によって全然違い、プロセス寄りか⇔結果寄りか、他人寄りか⇔自分寄りか、会社寄りか⇔顧客寄りかとか、人それぞれなんですよね。単純に履歴を書いてもらうだけでも、当然、中身は違いますが、書く視点も人によって全然違うわけです。
その後、各々の履歴を題材にしてセッションをするわけですが、
ファシリテーションをしながら、○○さんの履歴であれば、私は、この部分が気になるなって思う部分があったとしても、他の人たちは全然違う部分から○○さんらしさっていうのを見つめていたりするんです。それぞれ関心とする対象は違うわけなんですよね。
また、こういう事実状況に置かれて、なんで○○さんはこういった感じ方をするんだろう自分とは違うなっていうことも多々で出てくるわけです。
まぁ、それがある種その人らしさであり、辿ってきた道が違うことから出てくる個性でもあり、そういった違いを感じ取りながら、それぞれの人を見ていくっていうのは、本当に面白いわけです。
○○さんは、こういう経験をして、こういう感じ方をして、だからこういうらしさがあって、こういう強みがあるのかとか、こういった経験が○○さんのこういう想いに繋がっている原体験となる出来事なのかとか、そういうことを知ることで人への理解って本当に深まるんですよね。
(さらに履歴といえば、その自分史の中では、誰しもいくつかの決断場面があるわけです。その決断場面において
、その人が、その時の事実状況に置かれたときに、何を感じ、選択肢がある中で、何の事実を見て、何を感じ選択したのか(選択しなかったのか)、それを決めたものは何だったのかとか、何を大事にして生きているのか、基準は何か、そういったものを見つめる中でもその人らしさは出てきますよね。そして、それを見ながら自分との違いを感じ取ったりして。そういうことを知ることでも理解はさらに深まりますよね。

まぁ、履歴の交換については書き出すといろいろ書きたいことはありますが、ここまでにしておきますが、やはり、こういうことを見つめていくって本当に重要だなって思いますね。

そういったものを見つめていくことで、お互いの人間関係に深みが増し、そうなることで、本当の意味でのコミュニケーションができてくるのではないかとつくづく思うわけです。
現在の状況だけみて、「あれ?なんでこういう風に感じるのかな?違うな」「何を考えているのかよくわからない」等々って相手を見て思っても、その人の自分史(過去の体験や選択、その人のバックグランド)を知ることで、「なるほどだからそう考えるのか!」ってその真意や理由がわかったり。それによってコミュニケーションを阻害していたものが取れて円滑にコミュニケーションができるようになるとか、そういうことってあるわけです。結構そういうことって多いと思います。じっくり相手と話をしてみたら「実はいい人だった」とか、あるじゃないですか!
こういったことができれば、コミュニケーションだけでなくいろいろなことがものすごく円滑にいくと思うんですけどね・・・

ただし、このようなことができるためには、大前提として人に関心がないとダメですけどね!!
なんでこんなことを書くのか・・・それは内緒です(笑)。いろいろと思うことが多いわけです。


まぁ、今回は人について書いていますが、
人もそうですが、会社も学校もそれは同じで、歴史によって積み重ねてきた文化っていうか、歴史の中でいろいろな出来事があり(それに付随した決断場面もあり)、そういった歴史によって彩られてきたその人らしさであったり、その会社らしさであったり、その学校らしさっていうものがあり、(学校であれば、その学校の生徒やOB達が、その存在によって、その学び舎を通じて形成されたその学校らしさをさらに演出してくれるわけで)そういったものが人・会社・学校の根幹を形作り、核になっているんだと思うわけです。だからやはり会社や学校についてもそういった部分を見つめていくことは重要だと思うんですよね。
未来を考えるにしても、過去があって、今があって、それをベースにして未来があるわけで、だから人なら人の、会社なら会社の歴史っていうものを見つめることははずせないわけですよね。
歴史・辿ってきた道・歩んできた道、こういったことをもっと注目すべきなんじゃないかなって思います。最近、そういった考え方が欠けているような気がして仕方がないので・・・


さらに人について言えば
例えば成功者や尊敬する人の歩んできた道・歴史を見つめていけば・・・そこから生きていくうえで大切な見方・感じ方を学ぶこともできるし、本当にこの部分を見つめることは教育的効果という意味でも大事ですよね!!


そんなことをふと思ったので、今回はこのテーマで書かせていただきました。

2012年12月29日土曜日

「ピア効果」なる言葉を耳にする中で

恥ずかしながら、「ピア効果」なる言葉を最近知りましたが、「ピア効果」とは、一緒に教育を受けるグループの特性が、教育成果に及ぼす影響のことだそうで。まぁ、所謂、朱に交われば赤くなる、ということですね。

ピア効果に関連するコラムはこんなものがありました。
「ピア効果」による学力の伸長〔中学受験合格言コラム〕(筆者:森上展安)(Benesse教育情報サイトより 2012124日)
「ピア効果」で学力を向上させている学校〔中学受験合格言コラム〕(筆者:森上展安)(Benesse教育情報サイトより 20121211日)
家庭における「ピア効果」〔中学受験合格言コラム〕(筆者:森上展安)(Benesse教育情報サイトより 20121218日)

特に私がこの中で一番興味を持ったのは『家庭における「ピア効果」』ですね。家庭教育って非常に重要だと思いますし、家庭における保護者の立ち振る舞いや姿勢(子どもは親の背中を見て育つといいますし)や家庭での子どもへの関わり方によって子どもの成長は大きく影響されると思いますし。ですから、このコラムは是非、保護者の方には読んでいただきたい内容ですね。

さて、上記のコラムでは、
学校におけるピア効果や家庭におけるピア効果がかかれていますが、

下記の研究論文では、結論からいうと、子供の学力は学校だけでなく、本人や家庭の属性によってかなりの程度決定される、としています。やはり家庭は重要なんだと。

いろいろな角度から分析をしていますが、
特に、この論文の結論部分で気になった部分を抜粋すると、

「・子供の学力は、アジアのどの国でも・本人・家庭要因に大きく左右される。
・社会全体の人材育成という観点から見て、学校のできることはどうやら限定的(格差拡大機能すらある。)学校教育の効果に対する過大な期待は禁物
「子供は親を選べない」。人材育成のためには、学校教育の全般的な充実だけでなく、経済的・社会的に不利な家庭で育てられている子供たちに対する直接的な支援策が必要。」

と書いてあります。

確かに、
学校だけでどうにかするとか、塾でどうにかするとかでなくて、家庭・社会も含めた大きなフレームワークの中で考え、相互に作用しあいながら進めていくのでなければ本当の意味で効果的にはできないなって思いますね。


直接的に関係ないかもしれませんが、
人材育成関連で、根っこの教育=生徒の可能性を引き出して成長させる教育を学校とかの場で本当の意味で実現するにはどうしたらいいのかとかよく一人で考えているのですが、

たとえば、やる気を引き出すっていう教育を本気で学校でしようと考えた場合、学校において様々な形で生徒に働きかけを行うのは当然ですが、それだけでは十分ではなくて、家庭や社会、特に、家庭との相互連携(こちらの考えとは違う関わり方を家庭でされている場合はそれを変えてもらうなどの対応や意思疎通など)や、もし家庭として機能していない家庭があれば、その機能を修復すること(もし修復できないようであればいかに社会的に支援していくか)も含めて関わっていくことが重要で、そうしていかないと実現できないなって思うと結構難しいなって思ったりするわけで、、だって、家庭の子どもへの影響力はすごいと思いますし。そう考えると、しっかりと成果を出そうとしたときに学校でできることって極めて限定的だなって感じましたので、
やっぱり「家庭」っていうのは重要なんだよねって意味と、だからこそ「家庭におけるピア効果」をしっかり読んでほしいなっていう意味をこめて、この論文を付け加えてみました。


2012年12月19日水曜日

「素直さ」は本当に大事!


まずは上記の記事を読んでください。

どう感じましたか?

私は、「素直な生徒は伸びる」って親や先生方が言っているのをよく耳にしましたし、自分の体験からもそう感じていますので、この記事を読んで全く意外な感じはせず、むしろ、やはり!って納得してしまいましたね。


素直っていうのは、
受験勉強の時だけでなく実は社会人になってからも重要なことなんですよね。
自分の体験っていうのは社会人になってからの体験なんですが、やはり素直は重要だってつくづく思いましたね。

先輩や上の方が言っていることがよくわからなかったり、何でこんなことやらなきゃいけないんだろうって思っても、
まずは、先輩はじめ上の方の言うことを素直に受け入れる、そして形だけでもいいからまねしてやってみる、それが大事ですね。
でも言われたとおりにやって、自分ではやっている・できたつもりでも、なかなか先輩や上の方の納得するものができない、それで「全然できてない!」って怒られる、それでまた指摘された部分を言われたとおり修正してやってみる、それでもできない、そういうことを繰り返していく・・・これはつらい経験ですが・・・
最初のうちは、うるさいなっ!でもやらなきゃ怒られるし、怒っている意味もわからないけどやるかぁとか、仕方ないから言われたとおり形だけまねをしてみましたってな感じで、それをやる目的とか意図とかそういったもの等を全然イメージしないで、なんとなく言ったとおりに作りましたってなことを繰り返しするわけですが・・・自分で考えてもいないし、なんとなく形だけまねしているだけなんでダメなんですけどね。

そうやってつっかえされるうちに、悩むわけです。何がダメなんだろうって。
そうすることで、思考が始まるわけですよね。どうすればいいんだろうって自分なりに考え試行錯誤するわけです。
そういったことを自分なりに考えながら、先輩や上の方とのやり取りも含めて、繰り返しやっていくことで、ある時に本質的な部分での理解ができ、「ああ、こういうことを先輩や上の方は言いたかったんだ」ってわかり、さらにそれに向かう構えもできてきて、そうすることで次第に先輩の求めていくものアウトプットに近づいていくようになっていくわけです。さらに、それを進めていくことで、次第に勘所もわかっていくわけです。
素晴らしい成長過程ですよね!

こういう状態になったら、もう突破したも同然で、今度は自分流にアレンジしていくようになり、自分のやり方が確立していく・・・もうこれで完璧ですよね。

こんな感じで仕事においては、
こういった段階を経て成長すると同時にクオリティをあげていったような気がします。


さてさて、素直さの話に戻りますが、
やはり、上記の話でポイントの1つになるのは、「まずは先輩にいうことを素直に受け入れること」ですよね!
なぜか。
それは、この成長の過程は「素直に受け入れること」からスタートしたわけですから。逆に、それがなかったら、何も積みあがっていないわけですからね。
(素直に受け入れる姿勢がないと、基本的な部分が固まらないので、成長が遅くなる若しくは成長をしないような気がしますね。)

ということを考えるとやはり「素直さ」って大事ですよね。


私も「素直」かどうかといわれると「素直」な方ではないですし、確かに「素直」は性格なので変えるのは難しいと思います。私の場合、本当に壁にぶつかってどうしていいかわからなくなったとき、まずは「素直」に受け入れることからはじめるようになりました。そして結果として壁を突破できたので、それがよかったんだろうなって思っています。
私と同じように壁にぶつかり悩んでいた人がいましたが、それでも彼は結局自分のスタイルを変えず、人の意見を本気で聞くことをせず我流でやりつづけました。結果的にどうなったか・・・何も積み上がらず潰れてしまいましたね・・・・

まぁ、そんな感じで
  
まずは、一旦素直に受け入れてその通りにやってみるものいいと思いますよ!


【追加】
素直に受け入れてその通りにやってみるのは大事なんですが、素直に聞く際、アドバイスを受ける相手を誰にするのかも大事ですね。
あと複数の人からアドバイス受ける時も注意が必要ですね。複数の人からアドバイスを受けるとその人それぞれでやり方が違うので逆にアドバイスを受ける側は混乱してしまい、どうしていいかわからなくなってしまうこともあるからです。これでは素直さが逆効果になってしまいます。(プロ野球選手なんかでも、すごく有能な若手選手がルーキーとして入ってきて、素直だったがために、いろいろなコーチからいろいろなことを言われてその都度言うとおりに聞いて直していったら、自分のフォームとかめちゃくちゃになってしまって、結局潰れてしまった、なんてことも聞きますからね!)
従って、素直に受け入れる姿勢を持ったとしても、アドバイス受ける際の人選等は慎重に!

2012年12月1日土曜日

何がいいかわからない時代・先も見えない時代、それでも受験をし、職業を選択していく難しさ~ちょっとした事例を挙げつつ~


上記のような記事がありました。
記事タイトルそのままずばりですが、この記事の中で『米デューク大学のCathy Davidsonの研究によると「2011年度にアメリカに入学した小学生の65%は、大学卒業時には今は存在していない職に就くだろう」』という記述がありました。

これを見てどうお感じになりますかね?

私は、え~そうなのって思いつつ、自分と照らし合わせて見ると確かになぁとも思いました。私が新卒で就職したNTTドコモだって、私が小学生の頃にはなかった会社だし。そう考えると、今の小学生にしても、今ある会社や仕事の中から将来の職業を選ぶと前提や考え方の枠組みを捨てて教育していかないといけないということになりますよね。

今、人気がある会社や職業であっても、小学生が大人になる頃にはどうなっているかわかりません。逆もしかりですが。(小学生が大人になるまでは安泰でも、それが未来永劫続くというわけでもありません。)また、今、全く考えもみなかったようなものが小学生が大人になる頃には出ているということも当然のようにあります。

だから、今、人気があるから目指す、この職業は将来安泰だろうから目指すといったスタンスや今ある会社・職業といった既存の限られた範囲の中で考えていく、極端な言い方をすると短絡的に現在の状況だけ見て小さい頃から職業を決め打ちしていくというスタンスより、まずは、自分は何にもなりえる、という大きな構えを持って、それを前提として、その後、自分に何の強みがあり、自分はどういうときに力が沸々を沸き、自分は何に興味があり、何をしたいのか、そして何を将来実現したいのか等といった観点で模索しつつ、現実の自分の実力や家族・周囲からの要望、様々な社会情勢を見極めながら、自分が生きていく選択肢を決めていく、勉強をし、友達や周囲の関わりの中で人生を送りながら徐々に照準を絞っていく、方向性を固めていく、そして最終的に決めるときも自分の中で意志を持って決める、そういった形の方が何があっても後悔しない(後悔は少ない)と思いますし、マッチベターだと強く思いますね。理想論かもしれませんが。


会社や職業の状況って本当に変わるんですよね。そしてそれによって受験の難易度も左右される。そして何を選択すれば将来に渡っていいのかっていうのも、本当にわからない。人生を振り返るくらいの年代になってはじめてわかることかもしれません。


-どれくらい状況が変わるかっていうと、-
会社や職業の状況っていうのは、時代背景や経済情勢、それに伴う産業構造の転換などで相当に左右されるんです

そしてそれに伴い受験の難易度も
以前もこのコラムにちらっと書きましたが、
大学入試における理系の難関学科の変遷を昭和20年代~昭和50年代までで見ていくと、各年代の難関学科はこんな感じになっているわけです。
  昭和20年代:化学・鉱山・繊維
  昭和30年代:機械・電気
  昭和40年代:建築・土木
  昭和50年代:電子・情報

私の親の時代でいえば、繊維や鉱山、鉄鋼といった分野は花形だったようで、それゆえ当時はその分野に関連する学科の難易度は高まっていたようです。(私の中・高校時代はバブル景気で金融機関の人気が高く、受験でいえば社会科学系の学部の人気が非常に高かった時代でした。)産業構造の転換や経済情勢・社会情勢によって、花形の分野も時代とともに変わっていきます。まさにそれが難関学科の変遷で見て取れます。

当時は人気がある(未来も明るいと思われていたこと)からということで、あえて人気学科への厳しい競争に挑み、そこを勝ち抜けて当時の花形産業に入っても、10年、20年たったら斜陽産業になっていた・・・そんなことも普通にあるわけで。
怖いですね~


-大学受験~就職に関していうと、-
その時々に人気のある学部・学科を目指すということは、受験での競争も厳しいのですが、そこを晴れて突破しても、優秀な人間の中での厳しい生存競争は続くわけです。それでもその学部・学科に関連する会社・職業の栄華が続けばいいのですが、もしそういった学部・学科、それに関連する会社・職業が時代から要請されなくなる時代が来たとしたら、人によってはこれだけ頑張ったのにってなんだったんだろういう気になってしまいますね。


-今、仕事がうまくいっているというか、安泰的な感じの友達・知人は、-
順当にいって、うまくいっているという友達・知人も多いわけですが、それは当然のこととして、それとは別に
私が学生の当時、なんでそんな学部・学科目指すんだろうとか思った友達とか何人もいたんですけど、逆にそういった友達の方が今はうまくやっていたりしますね。大学の先生になったり、企業で第一線で活躍していたり、研究で成果を残したりって、うらやましい限りです。
「なんでそんな学科を目指す」って周囲から言われても、それを気にせず、自分のやりたいことがあるから選択するっていう強い動機や意志があって進学し、就職や研究の道に邁進したわけで、それが成功の一番の要因だと思います。
ただ、もっと穿った見方をすると、
そういった学科は人気もあまり高くなかったわけで、競争についても、人気のあるところに比べたら優秀な人が集まりにくい、故に競争(入試の競争も入学後の競争も)も厳しくない、その中で頑張ると、人気のあるところに比べたら目立ちますよね、それが良かったんじゃないかと。本当に穿った見方ですけど。だって、人気のあるところだと、本当に競争厳しいので、相当に優秀じゃないと目立ちませんからね。
あとは、人がやっていないようなとか人がまだ着手しはじめたくらいの新しい領域(珍しい領域)にすすんだ友達も、今や相当活躍してますね。(新しい領域に進んだ私の友達はそれほど優秀ではなかったんですよね。世間的にいう一流企業とかには就職なんてできないくらいだし、でも今や成功している)「そういう仕事もこれからはあるし必要なんだろうけど、やっている人はいないし、正直一般的に知られていないし本当に大丈夫なんだろうか、一般的な仕事をしたほうが安心だと思うけどな!」「まぁ、最先端の感じがするけど、いまいちイメージができなくよくわかんないや」とか私だとそんなことを思うような領域だったんですが、そういう領域に進んだ友達は、本人的には面白そう、何か新しいことができそうだからワクワクするという動機で進んでいたような記憶があります。
まぁ、こういった、時代の変化によって新しくできたような領域だと、まず新しい分野だからそれができる人が少ない、研究成果も少ない、だから活躍できる余地は大いに残されているわけです。ある一定の成果を出せばちょっとした有名人ですよね。そこまでいかないにしても、そこで、少しでも力をつけると、新しい領域では、それができる人が少ない(経験者が少ない)ことから、エンプロイアビリティが高まり、将来に渡って雇用という意味においては相当に強みを持ちますよね。

こうやってちょっと思い出しただけでも、
本当に人生いろいろ、最後の最後までわからない、故に選択した段階では当然それが正解かどうかなんてわからないですよね。

「今の小学生のうち65%は、今存在しない仕事につく」っていうこの一文だけ見ただけでも、いろいろなことを思い出しましたし、それゆえにいろいろと考えさせられましたね。

まぁ、
コラムに書いたようなケースや事実と「今の小学生のうち65%は、今存在しない仕事につく」だろうという事実を重ね合わせたときに、じゃあ子育てについて、教育についてどうするのっていうことをもっともっと広い視野でもっともっと真剣に考えなければいけないと、つくづく思いました。