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2012年6月25日月曜日

大学④国立大・私立大それぞれの卒業後の進路(1983年版)

今回のデータは19834月にそれぞれの大学の卒業生がどのような進路をたどったかというデータです。(データ参考資料:「母親のための大学入試トラの巻」 1983年中央公論社 著者丹羽健夫)データは若干加工しています。

19833月の卒業生ということになるので、19794月に大学に入学したということになります。1979年に入学したということは、国立大学出身であれば共通一次試験の受験を経て大学に入学した最初の学年ということになります。(1978年までは国立は一期校・二期校制
19833月大学卒業=ストレートで大学に入学したとすると今年で52歳。(1960年生まれ)大手企業に就職している方ですと、部長クラスになっている方もいるくらいの世代ですね。

データ①(就職実績:19833月卒業生の進路:国立大学経済学部編)



データ②(就職実績:19833月卒業生の進路私立大学経済学部編)

一部上場企業+国家公務員+地方公務員+先生への就職率の合計(上記の表の右端の列)の部分で80%以上は赤字(太字)、70%以上80%未満は青字(太字)、50%以上70%未満はピンク(太字)、それ以下を黒字で示しています。


・当時は特に国立大学が強さ(就職においても)を見せつけています。
・経済学部は、旧三商大(一橋大・神戸大・大阪市立大)、旧制高等商業学校母体の大学は、大学の先輩がそれぞれの企業の中心で働いているので、やはり就職は有利ですね。
・当時、就職で国立大学と対等に張り合えるのは私立大学では早慶上智くらいですね。
・成蹊大学の就職状況が良好なのは、元々三菱財閥の協力を得て設立されたこともあり、三菱との関係も強いし、そういった歴史的な背景もあり財界との繋がりが深いためであると思います。
他に、財閥系の関連する大学でいうと、武蔵大学(根津財閥)、東京経済大学(大倉財閥)などがあります。
まぁ、いろいろ見てください。

そういえばこの参考文献にはこういった記載も。↓
『○工学部人気学科は時代とともに変わる
 工学部の各学科の人気度のうつり変りを大ざっぱに申しますと、次の通りです。
  各年代の難関学科は
昭和20年代:化学・鉱山・繊維
昭和30年代:機械・電気
昭和40年代:建築・土木
昭和50年代:電子・情報                         』

確かに、私が小さい頃に、私の父が「秋田大学の鉱山はすごかったからな~。旧制秋田鉱山専門学校だったからな~」と言ってましたわ、そういえば。東北大学の冶金とかも当時はものすごく、超がつくほど難しかったと。今も、東北大学の冶金、東北大学金属材料研究所は最高級の研究所ですけどね。そういえば、あの世紀の発明である「熊大マグネシウム合金」を開発された河村能人教授(熊本大学)は東北大学金属材料研究所のご出身ですね。
先日、60過ぎになる私をかわいがってくださっている某金融機関で常務までされた方が、世間話をしている最中何を思ったのか突然「秋田大学の鉱山って、俺らの時代はすごかったんだぞ~。」っておっしゃってびっくりしましたけど、そう言いたくなるくらいそれくらいすごかったんでしょうね。今は秋田大学鉱山学部という名前ではなくなって、秋田大学工学資源学部って名前に変わってしまいましたが。
まぁ、特に工学部系は時代とともに人気学部は変わっていきますよね。
産業構造の転換」というタイトルでウィキペディアにも時代とともに変わっていることを説明しています。


※近日公開予定のデータ↓
参考文献には文学部、経済学部、理学部、工学部で大学別で、入試難易度ランクのさまざまなポジションから特定の大学をピックアップし、それぞれの大学から就職者数の多い順に10企業を掲載しているデータもあります。懐かしいと感じる方といらっしゃるような、そんなデータです。
但し、データ量が多いので、データを加工するか、どうにかして、近いうちにまた掲載したいと思っています。

2012年6月24日日曜日

大学③私立大学の偏差値の移り変わり(1975年~1990年)

今回は、どんな感じで私立大学の難易度が上昇していったかというのを、
首都圏の私立大学(MARCH)と同志社大学の文系学部をピックアップして、1975年、1980年、1985年、1990年で難易度がグングン上昇していく様子を表にしてみました。
(データ作成の際の参考資料:日本の大学 河合塾・東洋経済共同編集 1993年)
どの世代の入試かというと下記の世代になります。多分・・・
1975年度入試→今年55歳(1957年生まれ)
1980年度入試→今年50歳(1962年生まれ)
1985年度入試→今年45歳(1967年生まれ)
1990年度入試→今年40歳(1972年生まれ)

それではデータです。


※参考まで
日本の北、中部、南にある国立大学(東北大、静岡大、熊本大)をピックアップして、同様に偏差値の推移のデータを紹介します。


こういうような状況になったのは、18歳人口の増加、大学進学希望者数と大学合格率との関係や経済情勢の変化や試験の形態の変化(1975年はまだ国立は一期校・二期校の時代、そして1979年から共通一次がスタート、1990年からは大学入試センター試験がスタート等)やいろいろな要因が複合的に絡み合ってなったと思います。特に社会科学系の学部の上昇が顕著です。
この時期の偏差値の上昇は、私立大学に顕著に見られた傾向で、国立大学にはあまりこの傾向が見られないことがわかります。

この上昇していく時期に、偏差値の上昇という動きに歩みを合わせる形で、首都圏の私立大学は上位大学だけでなく、中下位大学も含め、「偏差値をいう単一の指標(国立大と私立大は同列で比較できないのに)や東京一極集中でマスコミ等が東京はすごい的なバイアスのかかった情報発信のされ方」等で、どんどん評価を高めて(良いと思われて)いきます。ただ、私の主観的な感想では、実態よりも高く評価されすぎなのではないかと思っていますが。
但し、誤解なきように付け加えて言いますと、偏差値が上昇していく中で、間違いなく以前よりも私立大学に合格するのは難しくなってきたことは紛れもない事実です。
ただ、国公立大と私立大を偏差値という指標だけ単純比較することはできないということは理解しておかなければいけません。要は同列で比較すること自体がナンセンスということです。それは国公立大と私立大は受験科目も違いますし、受験形態等もちがいます。
※私立大学が偏差値が上がる要素をいくつかあげると、まずは、私立大は科目数も少なくしかも私立文系一本の生徒が科目を絞って勉強し複数学部受験するということ、また早慶等の上位私立大であれば旧帝大などの難関国公立大の受験生が併願で受験するということ、こういった要素があるので、偏差値自体は実態よりも上昇してしまうのです。
 そういった事実があるにも関わらず、偏差値という単一的なモノサシで十杷一絡めで単純に値が大きい小さいだけで評価されてしまっている気もしますので、それはちょっと・・・という感じです。(良し悪しの評価をするならばもっと慎重に)
例えば、明治大学法学部(1990年の偏差値62.5)と東北大学法学部(1990年の偏差値57.5)を両方合格したら、間違いなく東北大学を選ぶと思います。少なくとも、私の周りは確実に東北大学を選択するでしょう。でも単純に偏差値だけで見ると、あたかも明治の方が上に見えてしまう・・・

「国立―私立の併願して両方合格した場合、どの大学を選択したか」というデータが家のどこかに眠っているのですが、そのデータがあればこの話については、もっと面白い情報を提示できるかと思います。それはデータが発見され次第アップします。

学校建築物を眺め、いろいろな思いを馳せる

「近代建築散策」というサイトの紹介です。
「近代建築散策」→「建築物一覧」の中の教育施設(1)、教育施設(2)に帝大、旧制専門学校、旧制高校、旧制中学等の歴史的建築物の写真が多く掲載されています。あれあれ、松本深志高校も素敵な建物ですが、掲載されてないのが残念ですね~。
でも、いい写真を沢山掲載してくださっています。感謝ですね。「しびれる~」の一言につきます。


この写真を見て、OBならばノスタルジーに浸るっていうのもいいですよね。
今の高校生ならば、こういった建物を見て、雰囲気を感じ、こんな校舎で勉強したいなと大学への思いをはせる、そして勉強をがんばるっていうのも素敵ですよね!

2012年6月19日火曜日

大学生必見!!就職活動の自己PR・自己分析のアドバイス

今回は「就職活動の自己PR」をする上で、どういったPRがいいかとか、どう自己分析したらいいかっていうことについてちょっと書きたいと思います。

勉強においてもスポーツにおいてもサークル活動においてもバイト活動においても、何においても「やりきる」「やり続ける」という経験は重要ですよね。
例えば、スポーツでも、レギュラーになってこんな実績があるっていうこともすごく素晴らしいことですが、それ以上に、レギュラーになろうが、ならなかろうが、「やり続けること」、そして「それを通じてどういう体験をしたか」ということの方がもっと重要だと思うんですよね。

<やりきる・やり続ける>→<それを通じてどういう体験をしたか>についてスポーツを例にとるとわかりやすいので、スポーツを例にとってさらに話を進めていきます。
野球でもサッカーでもラグビーでも、どのスポーツでも、それを続けていく上では、いろいろな壁にぶつかると思います。「これ以上うまくならないかも」とか思ったりする能力の限界を感じたり、自分がやりたくないポジションにさせられて続けたくないなって思ったり、チーム内の人間関係がうまくいかず悩んだり、全然結果が出なかったり全然勝てないからもう嫌だと思ったり、怪我をしてもう続けられないかもしれないと思ったり、勉強との両立ができないからもう無理だと思ったり。他にもいろいろな壁があると思いますが、そういった壁にぶつかってもあきらめずに続けていく、まずはそういうことが大事だと思います。続けるということだけでもすごいんですけど、インパクトという面ではそれだけだとちょっと弱いかもですよね。
さらに重要なのは、これから書くことなんです。↓
当然続けていくことができるということは、上記に書いたような壁から逃げずに突破できたからであり、こういう経験をしていることがさらに重要なんですよね。そしてこの部分については就職活動の自己PRとかで、是非PRしていただきたいのです。
どう自己PRするか・・・・それは「そういった壁にぶつかった時に、自分は何を感じて、プラスやマイナスに揺れながらもそれをどう突破したのか、そしてなぜ突破できたのか、そしてその経験から何を掴んだのか」こういったことを自己分析してアピールしていただくと、企業側に響くと思います。
こういった体験をたくさんもっている人(こういった体験が体に染み込んでいる人)は、社会で生きていく上で大切なことを数多く掴んでいる人であり、自分をプラスに向かわせることができる見方・感じ方を多く持っている人と言い換えることもできますので、企業側から見ても欲しい人材だと思いますからね。


<自分の成功体験を分析することでも自分を知ることができる・自己理解が深まる>
別の分析の仕方として自分の「成功体験」を分析していくという方法もあります。
ちょっと横道にそれてしまいますが、「成功」についての定義を書いておきます。「成功」と書くと何か大きなことをなした事を想像してしまいますが、別に小さいことでもOKなんです。どんな些細なことでも自分が「成功」と思えばそれが「成功体験」なんです。
では話を元に戻します。
成功する時の「のぼり方」は、人それぞれです。成功する時の自分ってこうなんだ、こういう傾向があるんだ、ここを意識するとうまくいくのかっていうことを知っておくと、これからの仕事や生活でもより確度が高く自分を成功に導いていくこともできると思います。何より、就職活動についていえば、「成功体験」を分析することで、自己分析もできるので一石二鳥です。
成功する過程での「のぼり方」について、ちらっとお話すると、成功体験では、当然、まず「スタート時の状態」があり、そして最終的な「成功した時の結果の状態」があります。そしてこの2つの状態を繋ぐ過程の中で、それぞれの人がいろいろな過程(のぼり方)を経て、結果(成功する)を出していくわけです。成功体験を見ていくと、順調に一歩一歩ステップを踏んでのぼっていく人なんて珍しいわけで、例えば、ある時点まで下の方で、ぐるぐる悩んで前に進めなかったが、あるきっかけで一気に成功に向けて駆け上っていったとか、みんな紆余曲折しながら成功に向けて進んでいっています。そういうものなのです。本当に「のぼり方」は人それぞれなんですよね。
余談ですが、部下育成をしなければいけない企業の管理職の方や、生徒の指導をしなければいけない学校の先生方など、それぞれの部下(生徒)の「のぼり方」っていうのを知っておくと、相手にいろいろなアドバイスをしやすいかもしれませんね。
「のぼり方」という点をもう少し詳しく突っ込んでお話すると、成功に向けた過程の中で、必ず人が上昇するための「スイッチ」があり、そこが着火点になります。そして、成功に向けて上り始めるのですが、スイッチが入り、火がついても、何もなければすぐに消えてしまいます。そこで必要なのが「火を消さないようにする」=「のぼることを支える」原動力です。原動力は、その人を支えているものやその人の想いみたいなものなので、その人らしさも垣間見ることができると思います。ちなみに原動力については、自分の原体験に紐づいたものであればあるほど強力ですね。(例えば、小さい頃に大きな病気をしてお医者さんに助けてもらった、すごく感謝している、だから自分も苦しんでいる人を絶対に助けたいとか)等々・・・・


最後に、成功体験を分析する時は、同時に失敗体験も分析してみてください。そうすると、自分が成功する時と失敗する時で何が違うのかっていうことがわかりますよ。ここの部分を意識すれば失敗が成功に変わるんだとかっていうことがわかると思いますよ。

まだまだ、言いたいこと書きたいことの半分も書けていませんが、何となくは伝わったんじゃないかと思います。いや、何となくでいいから伝わってほしいなと思っています。

もし、こういった話をもう少し聞いてみたい方がいらっしゃれば、是非お話する機会を持ちたいと思います。
特に、就職活動を控える大学生や高校生などには、こういうことを知って分析しておくと、就活では絶対にプラスになると思いますよ!(分析のサポートは時間が許す限り私がいたしますよ。)

2012年6月18日月曜日

高校について④息子・娘を「入れたい学校」

自宅にある雑誌のバックナンバーを何気に眺めていたら、
2007318日号の読売ウィークリーに
息子・娘を「入れたい学校」という特集がありました。そういえば、「おっ、おもしろい特集やっているな」って思って購入したことを思い出し、懐かしいなぁと久々に中を開けて見ていました。
この特集は、全国1万人に自分の住む都道府県内で入れたいと思う学校を各1校ずつ挙げてもらい、その結果、上位に選ばれた学校を回答者の「入れたい理由」の声と一緒に紹介しています。

この号以降、このような全国規模でのこういった特集をしているものは目にしたことがないので、5年前とはいえ貴重な資料だと思います。(私が知っている範囲では)
2007年の調査なので、学校の序列や人気が変化している地域もありますが、地方については変化の度合い非常に小さいとは思います。今見ても、納得!と思ってしまいます。)
ネットでその時の記事を掲載してあったので、リンク貼っておきます。
『息子・娘を「入れたい学校」』


こういうのを見て、旧制中学の伝統を引きづく伝統校が上位に入っていたりすると、なんだかワクワクしてしまいます。
やはり地方は旧制中学から続く伝統校であり進学校である公立名門高がランクインしています。ちなみの私の母校もランクインしていました(笑)
「入れたい理由」を見ていくと、なるほど、そうそうっていうコメントも出ています。さすが地元に住む人は良さをわかっているんだなって思ってしまいます(笑)。いずれにしても、生の声をベースにした精度の高い資料だと思います。


ご興味のある方は、是非見てみてはいかがですか?

高校について③高校のレベルの変化を中心に(静岡の例)

高校について①で、高校入試選抜で学校の序列や学校そのものが変わってしまった等を書きましたが、静岡県について言えば、そういう中では、入試選抜にあまり影響を受けていない地域といえます。ということは過去と比較しやすいということです。
その静岡県を今回は例にとって、高校のレベルの経年変化を中心に、その学校に在籍する学生のレベルの経年変化、さらには大学のレベルの経年変化という点について書きたいと思います。

最近、私立H高校の校長先生と広報担当の先生と話しをしていました。
その中で、私が感じていたことを現場の先生方も感じているのかということを聞きたくなって「最近、浜松北とか静岡高校とかの入学する生徒のレベルって昔と比べて下がってますよね?」と聞いてみた。答えはYES。本当に下がっているとのこと!やはりそうだったのか。実際の教育現場でのそういう実感があるんだなと。

まずはデータを見てください。

データ①(1990年高校入学)


データ②(2009年高校入学)


データ③

データの数字は微妙に異なるところもあるかもしれませんが、データは参考として見ていただき、大体の全体感を理解していただければと思います。

静岡市内の公立高校を序列化すると、トップは静岡高、次に静岡東高、その次に静岡市立高という感じになります。圧倒的に公立優位の県ですので、上位層が私立高校に流れるということはほぼありえない、そういった環境です。



データを見ての感想として
1】まずは、各高校のレベルの低下です。
データ①、②にあるボーダーというのは、1990年であれば出文テスト、2009年であれば学力調査テストのボーダーラインです。(250点満点)
ボーダーを見てみると、1990年→2009年でボーダーは各高校で軒並み下がっています。これはテストが難しくなったからではなく、単に、それぞれの学校を受験する受験生の学力レベルが下がっているということです。(ゆとり教育で問題の質や難易度は下がっているという話しも聞くので、その状況の中での、このボーダーの下がり方が異常だと思います。)
しかも1990年と2009年の15歳人口を比較すると2009年は1990年の6割くらいに生徒数は減っているのに、学校毎の定員の減り方は甘い。ということは、1990年では静岡東高へ入学していた生徒が2009年では静岡高へ入学しているということになります。そして相対的にレベルが下がっていく。トップ校が下がれば、二番手はさらに下がる、三番手はもっと下がるということになる。
(例えば1990年に静岡高の定員が405名だとすると、人口の減少を考えれば2009年の静岡高の定員は405名×6割≒240名程度であるのが妥当だと思います。)
1971年生まれ~1974年生まれ→団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)

2】各高校のレベルは軒並み低下しているのに旧帝大+一橋・東工大への進学数は静岡高を除いて増えている。
これは、上位大学が相対的に入りやすくなっているということになるのではないかと思います。1990年代後半以前であれば、トップ校の生徒(要は基礎学力がある生徒)が努力して入学する大学が旧帝大だったように思いますが、今では、昔よりは手が届きやすくなったという感じがします。極端な言い方をすれば、ある程度の高校であれば、努力すれば誰もに旧帝大へいけるチャンスがあるような気がします。


3】では大学の偏差値(河合塾を参照)を見てみると、【1】【2】の現状がありながら、偏差値が下がっているどころか、基本的に上昇しています。
これは、当時よりも、大学進学を目指す下の層が増えている(母数は増え、以前ならば大学受験をしなかったような層も受験している)のでどうしても上位大学の偏差値はあがってしまうのでしょう。しかし、高校のレベルが下がり、しかも中位の高校でも旧帝大に手が届くようになっているわけですから、大学の偏差値(見せ値)は上昇していますが、昔より旧帝大に入学する生徒の学力レベルが上昇しているとはいえない(下降している)ということになるでしょう。


こういったものを見ると、
高校生に対しては、「みんなに可能性があるから、もっと自分を信じてがんばれば希望する大学へいける。みんながんばれ」と言いたい気分になります。

ただ、別の見方をすると、旧帝大がこのような状況だと思うと、大学ってなんなんだろう、大学の価値ってどこまで落ちていくんだろうって思ってしまいます。
例えば、企業の採用において大学を見て判断しようとした場合、人事の方が大学生だった頃のレベルの大学生を取ろうと思ったら、多分該当する大学の大学生であってもその中の一握りとはいわないまでも少ないでしょう。

こういう状況にも関わらず、世の中の学校は、猫も杓子も大学進学を掲げて進んでいる。みんな画一的に大学を目指そう、いい大学を目指そうとしている・・・勉強することは非常に大事なことなんですが・・・・こういう現状を見ていると、もっと社会で活きる別の力を鍛えた方がいいかもしれないと思ってしまいます。
別の力については、また別の機会に書きたいと思います。


2012年6月17日日曜日

高校について②出身高校で地頭を見るということ

私の父は、2000年くらいまで40年くらい高校教諭をしていました。
まだ私が小学生とか中学生の頃(30年くらい前)に今でいうところの地頭について、父がちょくちょく語っていました。父はそれまでに公立のトップ校、二番手校、三番手校の学校のそれぞれに勤務していたわけなんですが、父曰く、「やはり、トップ校の生徒は地頭がいい」ということでした。テストの出来がよくない生徒であっても、やはりさすがと思えるところがあったみたいです。(テストの出来という面では見えない、地頭のよさ、能力の高さを感じとれる場面に幾度となく直面していたみたいです。)「あいつも、勉強すれば、もっとできるようになるのに」とよくいっていました。だからやはり地頭がいいというのはあるのかもしれません。

地方の名門進学校の高校進学については、地域の中学生の中から次第に選抜されていくわけですが、私の実感としては無理に勉強して力づくで入学するというより、家庭環境や本人の能力によって自然と選抜されているといった感じを受けています。(今はどうかわかりませんが)故にある種のポテンシャルはあるのかもしれません。

名門高校(名門進学校)びいきの表現をすると、高校受験では、同じ地域内で振り分けられることにより、わかりやすく人と違うことを意識させられます。しかも制服・校章等により、どこの高校かも一目瞭然であり、名門高校であればあるほど、見えない周囲からのプラスの視線、期待を受け、羨望の眼差しにふれて日々過ごすことになります。また、学校内に目を向けると、名門高校は自由な校風も学校も多く、そういった中で、変に勉強や規則に縛られることなく先生方も生徒を大人として接し、自由な発想が可能な環境の中で、文化的同質性が高い同級生との本音のぶつかり合いの中で刺激し合い、自己への理解・価値観・行動規範を強固にしていく、こういった学校内外での周囲とのかかわりの中で、その土地の名門高校出身者ならではの自分の核というものが確立するのではないかと思いますね。その一つはプライドではあるんですけど・・・
しかし恩師曰く「名門高校の生徒はそもそも自分自身の能力にそれなりの自信を持っているし、プライドもある。プライドを傷つけたくないから努力して結果を出そうとするんだよね。これってすばらしいことだと思うよ。」だと。



10年くらい前から就職の新卒採用でも出身高校を見るということを雑誌等でも紹介されています。

新卒採用において出身高校を見るということについては
プレジデント20041115日号の「大学と出世」の中の有力人事部の本音「使える大学、使えない大学」という記事の中でこういったやり取りがあります。

以下抜粋
『建設会社人事:大学も指標の一つだけど、高校もちゃんとチェックしている。こいつは地頭がいいかどうか見るわけだ。大学は受験を一生懸命やれば入るが、中学から高校に入る場合は素質が大きい。いい高校を出ている学生であればたとえ二流大学であっても、1.5流の大学よりは底力は上と見るね。①地方の伝統校出身者を採用しているけど、いい意味のプライドを持っているし、実際に会社に入っても、がんばって結果を出しているやつが結構いる。
機械会社人事:僕も出身高校は見ている。②高校受験はそんなに勉強しない。高校を見るのは地頭がいいかどうかのモノサシになる。それから面接で必ずする質問は高校時代に得意だった科目。3つ挙げろと聞くと技術系での化学、物理、数学という順番でいうか、あるいは数学、物理、化学とか違う答え方をする。事務系でも社会、国語、英語が好きなタイプがいる一方、数学が好きなタイプがいる。なぜそう聞くかというと、数学な好きな場合は、論理性に強いかどうかを見ている。これ以上言うと、こちらの手の内をさらけ出すことになるから言わないけどね。
IT人事:頭のよし悪しはじつはどこの高校に行っているかで如実に表れている。経験から言うと、一般受験でいい高校に入ったやつは地頭がいい可能性は高いね。あと、東大や早慶のなかでも地方の伝統高出身のやつに使えるやつが多い。③東京の有名進学校は合格するためにシステムが確立している。僕に言わせればセルフマネジメントを発揮せずに大学に入れちゃう。基本的にはそれは受け身の学習能力であって、そういう意味では地方から有名大学に行っている学生の方が使えるかなという期待感はあるね。
通信人事:大学は二流だけど、しっかりしているなと思って出身高校を見ると、ああやっぱりと思うことはあるね。ただ、逆にレベルの高い高校からたいしたことのない大学に行った学生というのは、踏み外したやつもいる。そういう学生は非常に微妙で、かえっておもしろい学生もいるが、斜に構えすぎちゃって結局仕事もしない。言うことはりっぱなんだけどちっとも行動しない。「言っていることは正論だけど、だったらお前、少しはやれよ」というタイプもいるからね。ここは要チェックだね。』

私個人として気になる部分を下線にしてちょっとコメントを入れたいと思っています。
※上記の下線部①のプライドという点について
プレジデント20081013日号の「あの名門高校にこの有名OBあり」の記事の中でもこう書かれています。
以下抜粋
『~むしろ、はっきりとした形での歴史的連続性があるのは「一中」である。都道府県のなかには一中という名前の旧制中学がなかったところもあるが、それと同じような存在はどの都道府県にも必ずある。なぜなら1886(明治19)年、政府が各府県内の尋常中学(旧制中学)を1校だけに集約しているからだ。その後身がいわゆる一中にあたり、いまでも県内一の名門高校であるケースが多いのだ。興味深い点は、旧制一中を前身とする高校では、いまも「地域を支えていくのは我々だ」といった自負があり、よくも悪くもプライドが高いことだ。』 私自身、なるほど、確かにと思ってしまいました!

※上記の下線部②の高校受験は勉強しないという点について
最近思うことは、公立高校受験においても、必要以上に塾が受験テクニックを伝授しており、中学の段階からそういった受験テクニックの詰め込みが以前に比べて活発化しているような気がします。塾も生き残りに必死なので、高校受験メインの塾であれば、高校に合格させるために必死であるのはある種仕方がない気がするが・・・。だからトップ校に入る生徒がどんどん小粒になっている気がして仕方がないのです。
昔はそこまで勉強はしなかったけどなぁと。昔は荒削りだけどすごい奴っていうのがいたような。あとでこぼこが多くてもある部分は圧倒的にすごい奴とか。
受験!受験!と受験競争がなんとなく全体的に広がっているのに、今の方が学力レベルは下がっている、どういうことって感じもありますが。あくまで私の私見です。

※上記の下線部③のセルフマネジメント~という点について
最近は、地方の名門高校であっても、自律的に学習するということができなくなってきているようです。ほったらかしにしても昔は大丈夫だった、でも今はほったらかしにしていると本当に何もせず、進学が壊滅的な状況になるという話しを聞いたことがあります。だから、がんがん補習を入れて、勉強させるようになっているとのことです。だとすると、地方の名門校でも一部の生徒を除き、これはもう当てはまらなくなっているかもしれません。(静岡県立静岡高校「初期指導強化」の記事にその状況を垣間見ることができます。)


最近では、たとえ地方の名門高校であっても、20年前と比較してレベルが下がってきた感じがしますし、昔の出身者と比較して持っている能力・行動規範等も変化してきているような気がしますので、こういう見方・視点は必要で当然ありだとは思いますが、慎重にしなければいけないような気もしています。


就職の新卒採用については、あるブログにこんな記載がありました。参考まで。

高校について①各高校の序列・イメージ・文化の変化(入試制度に翻弄されてきた高校)

高校名を聞いて、「○○高校出身なんだ、優秀だね」といった会話がされたりしますよ。
まぁ、とっても普通の会話なんですが、時に僕は違和感を感じるんですよね。
なんでそう感じてしまうかというと、例えば、今現時点でその高校が進学校だったとしても、何年か前、何十年か前はそうでなかったということもあるからです。逆もしかりです。また下がって上がってとか、上がって下がって上がるとかいろいろだと思います。当然それは公立高校にも私立高校にも当てはまります。
今回は、公立高校に焦点を絞ってこの話しをすすめていきたいと思います。

なぜこのようなことになってしまうのか、一つには高校受験の入試制度にあります。
要は、入試制度によって、各高校に集まってくる受験生の層が変わってしまうということです。そうすると当然学生の質等が変わってくるので、同じ高校であっても同じではなくなってしまうわけです。

入試選抜を見ていくと、いろいろな都道府県で様々な選抜制度をやってきました。
単独選抜・総合選抜学校群制度複合選抜が選抜制度にあたります。
現在、総合選抜は京都府の一部の学区のみ、学校群制度については現在すべて廃止しています。また、基本的には同じ選抜をやっていたとしても、学区を大学区にしたり、中学区にしたり、小学区にしたり、ありとあらゆるやり方で、それぞれの都道府県が入試選抜制度に手をつけてきました。
結局、こういう制度により、今まで続いてきたそれぞれの高校が持つカラー・文化・進学実績・価値に影響を与えてきました。当然、受験する生徒にも大きな影響を与えてきました。極端な話、選抜制度を変えれば、今までトップ校だった高校が普通の高校になってしまうこともあります。選抜制度の変更により、今までの学校間の序列やその学校そのものに伝わってきたものというのに大きな影響を与えてしまうということです。

ちょっとした例をいくつかあげてみます。

まずは東京都。東京は有名ですよね。
東京都は1967年~1981年まで学校群制度を実施していました。この学校群制度というものが、東京都立高校に与えた影響は計り知れなかったです。
ちなみに、その前の1965年(学区合同選抜制度)当時のおおよその難易度

学校群導入前は都立高校が全盛でした。1964年東大合格者数のベスト10の内6校は都立高校です。(日比谷193名、西156名、戸山101名、新宿96名、小石川80名、両国64名 ※東大合格高校盛衰史(光文社 小林哲夫著)より)
あのナンバー1スクールの日比谷高校が学校群制度の影響により、1980年には東大合格者が1桁になってしまいました・・・・
東京都の学校群については2003226日(水)読売新聞の論点の中で鹿島茂氏が書かれている文をそのまま抜粋
2003年ということでちょっと内容的に古いですが、辛辣にぶった切っています。
以下抜粋。
『東京の公立高校の学区制が全廃され、旧エリート高校の復活が話題になっている。学校群制度が導入され、都立高校の地盤沈下が始まったのが1967年だから、遅きに失した感はあるが、それでも何も策を講じないよりはましである。とりあえずこの英断に拍手を送りたい。それにしても、小尾教育長(当時)が都民に強制した学校群制度という試みは、レーニンがロシアと近隣諸国に押しつけた共産主義という愚劣極まりない実験にも比せられる暴挙であり、害悪は計り知れない。百年後に「21世紀末における日本の衰退」という現象を検証した歴史家は、その原因の1つとして学校群制度の導入をあげるかもしれない。それ位に、この制度は国家百年の計を誤った大ミステークなのである。
問題は都立高校を軒並み没落させ、私立高校をエリート校化させたという現象面にとどまらない。学校群制度は、占領軍さえ手を付けなかった日本人唯一の財産である「刻苦勉励」というメンタリティーを失わせ、「努力する者がばかを見る」という沈滞した風土を作り上げてしまった元凶なのである。
ではなぜ、このような希代の悪法が一教育長の独断によって36年もの長きにわたってまかり通ったのか。その原因を探ってみると、結局のところ、日本人の胸の底に巣くう俗流平等主義へと行き着く。
(中略)それでも、これで教育上の平等が実現できたのなら、まだ良かった。
だが実態はご覧の通り。エリートは悪法の及ばない私学に逃れ、私立優位が確立したので、子供の将来を思う親たちは時代の流れに逆らわず、高い学費に涙を流しながら子供も私学に入れたのである。ラ・ロシュフーコーが「箴言集」で断言しているように、「自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である」。ゆえに、親たる者、子供をエリートに育てようという自己愛に駆られれば悪法をかいくぐるあらゆる算段をする。もし、日本に私学という抜け道がなかったら、金持ちの親たちは子供を欧米に留学させるという手段を講じたに違いない。
ゆえに、36年に試行錯誤の結論として我々が心に刻むべきは、自己愛は絶対に克服できない以上、教育制度も初めからこれを係数に入れたものにすべきだということである。少しでも良い学校に進んで、エリートになって社会に出たいという子供たちのごく当然に気持ちを圧殺するような制度を二度と作ってはならないのだ。
とはいえ、学区廃止で問題が一挙解決すると思うのは早計である。共産体制が解体されたからといって、すぐにバラ色の社会が生まれたのではないように、学区廃止で旧エリート校がいきなり復活する公算は薄い。36年に及ぶ荒廃で、エリート校時代に蓄積されたノウハウは失われているし、3年間の教育だけで、6年制私学の受験教育に太刀打ちできるとは思えないからだ。
しかし、これで勉学意欲に燃えながら貧しくて私学に進めなかった子供たちにとって、安い学資のエリート校が誕生する可能性が出てきたことは歓迎されて良い。「努力すれば報いられる」。明治の日本を飛躍させたこの教育の原点を忘れてはならないのである。』以上


次に愛知県。旭丘高校を中心に。
愛知県も1973年から1988年まで学校群制度を実施していました。
「東大合格高校盛衰史(光文社2009年 小林哲夫著)」に書かれていますが
名古屋市内の学校群制度は、複数の学群から生徒が均等に配分される仕組みである。第1学群(旭丘と千種)、第2学群(千種と市立菊里)、第3学群(旭丘と市立北)。このなかで、第1、第2学群に成績優秀な生徒が集まったおかげで、千種が「いいとこ取り」してしまう。旭丘がもう1つ所属する第3学群には優秀な生徒がそれほど集まらなかった』

私が予備校時代(1990年頃の話しですが)の友達に旭丘高校出身のS君という子がいまして、その子は2群で旭丘に合格したのですが、曰く2群と3群では入学時点の学力は段違いで違ったそうです。2群で入学してきた子が圧倒的に優秀だそうです。彼は旭丘出身の人を見るたびに「彼は2群、彼は3群」って私に教えてくれました。彼は、めちゃくちゃ性格のいい好青年でしたが、そういわせるくらい学力差があったっていうことです。(もっとも、自分が本来の旭丘高校の生徒だという自負があったとも思います)もっと象徴的な言葉は「旭丘っていっても2群から来た人は旭丘だけど、3群から来た人は旭丘であって旭丘じゃないよ。」って言葉でしたが、なるほどと思いましたね。さらに「千種高校に振り分けられなくてよかった」とも言っていましたね。やはり旭丘に入るのと、千種に入るのではOBの質が全然違いますからね。
但し、愛知県は東京都のように公立が壊滅的にはならず、今でも公立優位で進んでいます。それだけが救いだと思います。学校文化の伝承の面でも。


他にも山梨県。
うちの親の友人のお兄さんが甲府一高から東大へ行って、日銀かなんかに勤めていた方がいましたが、よく「甲府一高はすごい、甲府一高はすごい」とよく聞かされていました。
実際、1966年の甲府一高の東大合格者は22名なので、当時はすごかったんだろうと思います。
しかし1967年総合選抜を導入し、甲府一高つぶしを行い、甲府一高は今も当時の輝きを取り戻せないでいるという状況です。親の代の甲府一高と今の甲府一高では別物といっていいと思います。
他にも、こういったことがいろいろな地域でおこっています。
逆にそういったことが限定的、もしくはそんなに大きな影響を受けていない地域もあります。



多かれ少なかれ、都道府県ではこの長い歴史の中で、いろいろ入試選抜制度を行っています。あまり大きく選抜制度をいじっていない都道府県もありますが、選抜制度によって学校そのものが(入学者の質も含む)変わってしまったところもあるということです。
それだけではなく、都心部では、私立志向の高まりの中、進学に力を入れ、グングン偏差値を上げているところもあります。え?あそこが今はそんなに高いの?っていう私立高校も増えています。

例えば、出身高校を聞くことで、なんとなくその人のなりがわかったりますが、もしその人がどんなレベルなのかとか判断しようとしたりするのであれば、実は入学した時期(何年頃入学したのか)とかということも重要であるということです。そういったことも頭にいれて考えてみると、面白いかと思います。

最後に高校文化という面でいうと、
大学受験は全国津々浦々の大学を受験しますが、高校受験については、基本、自分の居住する地域の学校を受験します。故に、地域性や今までの伝統も相まって、大学よりも高校の方が、高校毎の個性が出やすいような気がします。そのような中で、特に、脈々と続く伝統を持つ高校であれば、それぞれの高校で3年間送ることで、生徒がそれぞれの高校のハビトゥスを無意識の中で身につけていくことになると思います。これはすごい文化的蓄積だと思います。しかし、そういった高校文化や高校で受け継がれてきた遺伝子というものが、入試制度やいろいろな圧力の中で薄まっていく、分断されていくということになれば、本当に悲しいことだと思っています。


さてさて、高校についてもう少し深く知りたければ
「東大合格高校盛衰史」(光文社2009年 小林哲夫著)とか「47都道府県の名門高校」(平凡社新書2008年 八幡和郎著)とかご覧になるとよいかもしれません。
他にも高校関係の本ですと「名門高校人脈」(光文社2005年 鈴木隆祐著)とか宝島からも出ています。また雑誌でも取り上げられていますので、いろいろ見てみるとよいですよ。
こういったことを書いている雑誌のバックナンバーを私は沢山保有していますので、機会を見計らってちょくちょく中身を載せていきます。

2012年6月10日日曜日

大学の価値・存在・序列の変化②

1961年の大学入試難易度ランキング(経済系)がネットに掲載されていたので、それを拝借すると同時に、1975年のデータもありましたので、それもあわせて掲載します。1961年、1975年ともに、まだ共通一次は始まっておらず、国立大は一期校・二期校で選抜を行っていた時代です。
1960年代であれば旺文社模試が受験生の間では一般的で一番権威があったと思いますので当時のデータの中では信憑性が高いと思います。(ちなみに河合塾は1972年から全統模試を開始しています。従って、まだ規模的にもそれほどではなかったとも推測されるので1975年の河合塾の偏差値データについての信憑性はわかりません・・・)
左に1961年の旺文社模試から見た大学入試難易度ランキング(19618月号)、右に1975年河合塾の大学入試難易度ランキング(日本の大学93年度版 河合塾 東洋経済共同編集:自宅に保存してあった資料)を記載。(1961年の入試難易度データのあった大学のみ1975年の河合塾偏差値データも記載)

1961年の旺文社模試(19618月号)      (1975年河合塾偏差値)
★が私大 ○が公立大 合格者平均点(法/政治/経済/経営・商)
東京大(文Ⅰ=法・経に進振) 222           (65.0
一橋大(経済学部) 220                 (60.0)  
一橋大(法学部) 216                                  62.5
一橋大(社会学部) 213                             (60.0
一橋大(商学部) 211                        60.0
京都大(法学部) 208                        62.5
横浜国立大(経済学部) 197                (60.0
京都大(経済学部) 196                 62.5) 
神戸大(経営学部) 195                           55.0
名古屋大(経済学部) 195                           57.5
慶応義塾大(経済学部) 191★                        65.0
名古屋大(法学部) 187                           57.5
神戸大(経済学部) 186                           55.0
東北大(法学部) 184                           (57.5
大阪大(経済学部) 184                          (57.5
大阪大(法学部) 182                             60.0
神戸大(法学部) 179                             55.0
東北大(経済学部) 179                            57.5
小樽商大 172                               52.5
滋賀大(経済学部) 171                         55.0
九州大(経済学部) 170                         (57.5
長崎大(経済学部) 170                         52.5
九州大(法学部) 169                          57.5
横浜市立大(商学部) 169○                       55.0
慶応義塾大(商学部) 167★                       60.0
関西学院大(経済学部) 166★                      57.5
慶応義塾大(法学部) 165★                       60.0
早稲田大(政治経済学部) 163★                           65.0
大阪市立大(商学部) 163○                            52.5
大阪市立大(法学部) 162○                      (55.0
大阪市立大(経済学部) 162○                   (55.0
神戸商科大※現兵庫県立大 162○              (55.0
北海道大(文類=文系すべてに進振) 161          (55.0
大分大(経済学部) 160                 (50.0
山口大(経済学部) 160                  52.5
都立大※現首都大学東京 159○            (55.0)(法学部)
香川大(経済学部) 158                 (50.0
富山大(経済学部) 156                 (50.0
岡山大(法文学部) 153                  (55.0)(文学部)
和歌山大(経済学部) 153                (50.0) 
福島大(経済学部) 151                 (50.0)
早稲田大(商学部) 151★                     (60.0)
南山大(経済学部) 149★                          (50.0)
金沢大(法文学部) 147                            (55.0)(法学部)
早稲田大(法学部) 147★                     (65.0)
上智大(経済学部) 143★                       (57.5)
同志社大(経済学部) 141★                      (55.0)
高崎経済大(経済学部) 135○                     (50.0) 
熊本大(法文学部) 134                        (55.0)(文学部)
関西学院大(商学部) 134★                        (55.0)
上智大(法学部) 133★                            (60.0)
関西学院大(法学部) 129★                  (57.5)
成蹊大(政治経済学部) 125★                     (50.0)(法学部)
中央大(法学部) 125★                        (60.0)
同志社大(商学部) 123★                          (50.0)
同志社大(法学部) 115★                          (57.5)
青山学院大(法学部) 111★                       (55.0)
学習院大(政治経済学部) 109★                   (52.5)
関西大(法学部) 109★                            (55.0)
大阪府立大(経済学部) 108                       (52.5)
関西学院大(社会学部) 106★                 (55.0)
立命館大(法学部) 104★                         (57.5)
立教大(法学部) 103★                           (57.5)
立教大(社会学部) 97★                           (57.5)
明治大(法学部) 89★                           (57.5)


当時はそれほど偏差値といわれていなかった時代だとも思いますし、今のように偏差値による大学の序列化が進んでいなかったと思いますが、参考まで。
あと、当時は、今のように猫も杓子も大学に行くという感じではなかったので母集団も違いますので、今の大学の偏差値の値と単純比較することもできないと思います。
この点については下記の記事を参照してください。
20081013日プレジデントにはこんな記事も・・「大学ランキング(朝日新聞出版)の編集統括を務める小林哲夫氏は「10年前(1998年頃)なら日東駒専にも『できる』学生はいましたけれど・・・」と小林氏はため息とつく。なぜそうなったのか。18歳人口が減少しているにもかかわらず、早慶をはじめ上位大学が入学定員を増やしていることに大きな原因がありそうだ。10年前の98年に162万人だった18歳人口は2008年に124万人。23%の減少である。その一方で、例えば法政大学の在学者数(学部生のみ)は、同じ期間に23320人から27999人へ、なんと20%も増加している。しかもその法政はその間、夜間部を段階的に廃止しているので、昼間部だけを取り上げると増加の比率はさらに大きい。他の有名私大もほぼ同様である。「20年くらい前(1988年頃)の日東駒専レベルの子が、いまは法政や明治大学に入っている、昔のMARCHクラスの学生は、早慶に行かなければ見当たりませんよ
首都圏に複数の大学で教える大学講師の証言である。今回の取材では「いまの偏差値7010年前の60に相当する。それだけ学生のレベルは下がった」という声を様々な関係者から聞かされた。」】


データの件に戻りますが、1961年当時は国立は一期校・二期校制で、二期校であった横浜国立や東京外大には一期校であった東大等の最難関大を受験した学生が併願してきたこともあり、入試難易度が高くなっています。
1961年のデータを見ると、やはり旧制高等商業系の大学である小樽商科、滋賀大、長崎大、等の大学が高い入試難易度を誇っています。この当時から私立について慶應の経済だけはは極めて高い位置にありますが、慶應の経済といえば、慶應の看板学部であり、実業界に多数の優秀な人材を送っていたので当然だと言えます。いずれにせよ、全体的に当時は国立が圧倒的に優秀であったことがわかります。
1975年のデータも見てみると、だんだん、今の序列に近づいている感じはします。ただ、1975年時点でも、今ほど上位の私立大学でも偏差値は高くなっていない感じがします。私立が全盛をきわめだすのは、あと10年後(1980年中頃)くらいになると思います。

1961年でも1975年でも、国立全盛の時代であったので、私立大学の偏差値については、併願したが国立大学に合格しての抜ける受験生を勘案すれば、実質の私立大学の偏差値は(実際に私立大学に入学した生徒での偏差値)はもっと低めになるのではないかとは思いますが。