ページ

2012年6月9日土曜日

大学の価値・存在・序列の変化(序章)①

「大学」と一言でいっても、時代によって価値や存在は変化していると思います。大学毎にもそれはあると思います。

私の父は1937年生まれ74歳で、東京教育大学(現・筑波大学)の理系学部の出身なんですが、理系のみならず、歴史や文化やさまざまなことに詳しく、教養人だと常に思っています。家には当然、理系の専門書も多くありましたが、それ以外にも岩波書店の難しそうな本が山のようにあり、それ以外にも歴史書等も山のようにありました。
(ちなみに父は、あくまで後継大学である筑波大学ではなく、東京教育大の出身であるというんですよね。それだけ東京教育大に誇りを持っているんだろうなと。)

1960年に大学に進学した人が16万人(18歳人口200万人中)で大学進学率は8%であったというデータがあったので、それを参考に考えれば、私の父の18歳の頃(1956年)であれば大学進学率は8%と同等かもう少し低かったであろうと考えられます。
父の学生時代は、マーチン・トロウの三段階区分(エリート期、マス期、ユニバーサル期)の区分でいけばエリート期(大学進学率15%未満)にあたりますので、一握りの優秀な人が大学へ行ったのだと思います。しかも東京教育大学といえば、国立で当時は教育系の最高峰の大学でしたので(前身が東京高等師範、東京文理大)、それは優秀だっただろうとは思いますが。
しかも当時の大学生は全般的に非常に教養が高い人が多かったと。知識の幅が広かった、専門科目のみならず、文系・理系問わず、あらゆる知識の幅が広かったと。みんな岩波の「世界」とかを読み漁っていたとか。
ちなみにマス期(前期・後期とあるが)は大学進学率15%~50%、ユニバーサル期(ユニバーサル・アクセス)は50%以上のことをいい、現在はまさにユニバーサル期にあたります。当然、今の大学と私の父の時代の大学と同列で扱うことができないくらい大きな違いがあることは十分わかると思います。
要は、大学といっても、時代によって大学進学率も違うし、あり方や価値も違うし、各大学の大学間でも位置づけも違うし、いろいろな面で違いがあるので一括りでは言えないということです。

中央公論(2007年2月)「特集:大学下流化時代」で、竹内洋氏(関西大学文学部教授)が下記のように書いています。
『かつては教養主義の一翼さえ担った中堅上流大学の学生文化が、近年いちじるしく下流文化化しているということになる。いいかえれば、1960年代までの中堅上流大学と有名大学の学生文化のちがいは、教養主義によって学生文化が支配されたぶん、「傾斜的」な差異にしかすぎなかった。東京大学や京都大学の学生文化と中堅上流大学の学生文化は質的に大きく変わるものではなかったのである。(中略)いまではエリート大学と中堅上流大学の学生文化は「傾斜的」ではなく「分断的」差異にまでなっていることになる。偏差値では準エリート大学にくくられる中堅上流大学の学生文化は、エリート大学の学生文化よりも、ノン・エリート大学の学生文化に似てきているのである。エリート大学の学生文化に依然として「背伸びする」文化が残っているとすれば、準エリート大学の学生文化は「これでいいのだ」文化に席巻されているということである。(図で学歴別就学率と大学生文化(1960年~2005年)を示している。1960年は学歴別就学率が小中100%高校57.5%大学・短大10.3%この時期はピラミッドでエリート段階そして学生文化は上位同質化→1980年は学歴別就学率が小中100%高校93.7%大学・短大37.9%この時期は台形マス段階そして学生文化は文化戦争→2005年は学歴別就学率小中100%高校97.6%大学・短大51.5%この時期は矩形ユニバーサル段階そして学生文化は下位同質化)1960年でみると(中略)大学に階層性はあっても、より大きなピラミッド(学歴別就学率)の地を背景にしているだけに、大学という特殊な場への同一化の力が働く。大学を大学以外と区別する境界線も輪郭がはっきりしやすい。かくして大学間に同質化圧力が働く。下位を占める大学も上位の大学文化に影響されるのである。上位同質化過程が働くのである。(中略)進学の一層の上昇によって、(2005年には)大学三角形の面積はひろがり、大学ピラミッドの背景(地)を構成する学歴別就学率が矩形になった。大学という場に大衆文化や消費文化の圧力をくいとめる壁はなくなってしまった。かつてのような同質圧力も上位同質化過程も働かなくなってきた。(中略)さらには、この間の18歳人口の減少にともなう学生消費者主義への迎合や手取り足取りのポピュリズム大学改革が、中堅上流大学にまでおよび(下位同質化)、多くの大学のキャンパス文化をして「これでいいのだ」文化にしてしまったのである。(中略)学生文化は単なる若者文化ではなく、世間文化(大衆文化)と一線を画するところに輪郭をもっていたが、世間文化と一線を画する輪郭がなくなれば、それは学生文化をはいいがたい。ただのキャンパス文化にすぎない。』と指摘しているように、文化についても変化が見られる。それだけ今の大学と昔の大学を比較すると文化も含めて変わってしまったということでしょう。

各大学の大学間での位置づけの違いという点でいうと
先日も、従兄弟(51歳)と会って話しをしていたときに伯父さん(従兄弟の父)の話しになったんです。伯父さんは生きていれば76歳くらいだったと思いますが、慶應義塾大を出て某新聞社の役員までやった人ですが、従兄弟から言わせれば「当時の慶應なんて、金があればみんないけたからな~」てな大学の評価です。(ちょっと極端な言い方だとは思いますが・・・)ちなみに私は慶應好きですよ。陸の王者を歌えるくらいね。実業界にいると三田閥のすごさは感じてますし、いい大学だと思ってます。
ただ、実際のところ、昔の私立は今では考えられないくらい学費が高く、普通の家庭では正直私立大学には行かせられなかったらしいです。ということは必然的に進学できる人は限定されてしまうと。まぁ、年を追うごとに学費が国立と近づいてきて現在に至るという感じですが、昔はそうではなかったんですよね
学費だけの問題でなく、昔はもっと国立大学が高く評価されていたので、たとえ早慶を受かったとしても、早慶より国立大学を選ぶ人たちも多くいたと思います。
国立大学についていえば、例えば、国立大の経済系でいえば、旧高等商業学校系の歴史を持つや山口大経済(旧山口高商)や長崎大経済(旧制長崎高商)、小樽商大(旧小樽高商)、滋賀大経済(旧彦根高商)、和歌山大経済(旧和歌山高商)などは、昔は多くの優秀な人材を実業界に送り込んできた名門であり、少なくとも今の60歳以上くらいの人にはそのイメージは今もあるのではないでしょうか。

昔の国立、昔の私立、今の国立、今の私立とかの話をしていると長くなってしまうので、ここでやめておきます。今回は、とりあえずふと思ってことをつらつらと書きましたが、次回はもう少し突っ込んで書きたいと思います。(だからあえてタイトルは序章としています)
まぁ、「大学」と一言で言っても、実は時代によって、例えば90歳の人にとっての大学、60歳の人にとっての大学、40歳の人にとっての大学、今の学生にとっての大学とでは全然違うってことです。
「大学」というのを時代の変遷とともに見ていくというのは必要なことだと思っています。(「大学」を見るときには、いろいろな見方も必要だということです)


※私の父の時代、昭和10年代生まれの方だと、家庭の事情とかで、大学にすすめない人、進まない人も多くいて、故に商業高校や工業高校にも非常に優秀な人間が集まっていたことも追加して書いておくべきだと思いました。(当時、大学に行く人ばかりが選ばれし優秀な人というわけではなく、大学に行かなかったとしても非常に優秀な人は非常に多くいたということ)
高卒であっても優秀な人はたくさんおり、そういった方々も社会の中でいろいろな重要な役割を担い、社会発展に貢献してきたわけです。
そんなことを考えると、今の時代、バカの一つ覚えのように大学大学といっているのがどうかなと思ってしまいます。個性だなんだといっていますが、今の方がよっぽど画一的だと思いますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿