上記のような記事がありました。
記事タイトルそのままずばりですが、この記事の中で『米デューク大学のCathy Davidsonの研究によると「2011年度にアメリカに入学した小学生の65%は、大学卒業時には今は存在していない職に就くだろう」』という記述がありました。
これを見てどうお感じになりますかね?
私は、え~そうなのって思いつつ、自分と照らし合わせて見ると確かになぁとも思いました。私が新卒で就職したNTTドコモだって、私が小学生の頃にはなかった会社だし。そう考えると、今の小学生にしても、今ある会社や仕事の中から将来の職業を選ぶと前提や考え方の枠組みを捨てて教育していかないといけないということになりますよね。
今、人気がある会社や職業であっても、小学生が大人になる頃にはどうなっているかわかりません。逆もしかりですが。(小学生が大人になるまでは安泰でも、それが未来永劫続くというわけでもありません。)また、今、全く考えもみなかったようなものが小学生が大人になる頃には出ているということも当然のようにあります。
だから、今、人気があるから目指す、この職業は将来安泰だろうから目指すといったスタンスや今ある会社・職業といった既存の限られた範囲の中で考えていく、極端な言い方をすると短絡的に現在の状況だけ見て小さい頃から職業を決め打ちしていくというスタンスより、まずは、自分は何にもなりえる、という大きな構えを持って、それを前提として、その後、自分に何の強みがあり、自分はどういうときに力が沸々を沸き、自分は何に興味があり、何をしたいのか、そして何を将来実現したいのか等といった観点で模索しつつ、現実の自分の実力や家族・周囲からの要望、様々な社会情勢を見極めながら、自分が生きていく選択肢を決めていく、勉強をし、友達や周囲の関わりの中で人生を送りながら徐々に照準を絞っていく、方向性を固めていく、そして最終的に決めるときも自分の中で意志を持って決める、そういった形の方が何があっても後悔しない(後悔は少ない)と思いますし、マッチベターだと強く思いますね。理想論かもしれませんが。
会社や職業の状況って本当に変わるんですよね。そしてそれによって受験の難易度も左右される。そして何を選択すれば将来に渡っていいのかっていうのも、本当にわからない。人生を振り返るくらいの年代になってはじめてわかることかもしれません。
-どれくらい状況が変わるかっていうと、-
会社や職業の状況っていうのは、時代背景や経済情勢、それに伴う産業構造の転換などで相当に左右されるんです。
そしてそれに伴い受験の難易度も
以前もこのコラムにちらっと書きましたが、
大学入試における理系の難関学科の変遷を昭和20年代~昭和50年代までで見ていくと、各年代の難関学科はこんな感じになっているわけです。
昭和20年代:化学・鉱山・繊維
昭和30年代:機械・電気
昭和40年代:建築・土木
昭和50年代:電子・情報
私の親の時代でいえば、繊維や鉱山、鉄鋼といった分野は花形だったようで、それゆえ当時はその分野に関連する学科の難易度は高まっていたようです。(私の中・高校時代はバブル景気で金融機関の人気が高く、受験でいえば社会科学系の学部の人気が非常に高かった時代でした。)産業構造の転換や経済情勢・社会情勢によって、花形の分野も時代とともに変わっていきます。まさにそれが難関学科の変遷で見て取れます。
当時は人気がある(未来も明るいと思われていたこと)からということで、あえて人気学科への厳しい競争に挑み、そこを勝ち抜けて当時の花形産業に入っても、10年、20年たったら斜陽産業になっていた・・・そんなことも普通にあるわけで。
怖いですね~
-大学受験~就職に関していうと、-
その時々に人気のある学部・学科を目指すということは、受験での競争も厳しいのですが、そこを晴れて突破しても、優秀な人間の中での厳しい生存競争は続くわけです。それでもその学部・学科に関連する会社・職業の栄華が続けばいいのですが、もしそういった学部・学科、それに関連する会社・職業が時代から要請されなくなる時代が来たとしたら、人によってはこれだけ頑張ったのにってなんだったんだろういう気になってしまいますね。
-今、仕事がうまくいっているというか、安泰的な感じの友達・知人は、-
順当にいって、うまくいっているという友達・知人も多いわけですが、それは当然のこととして、それとは別に
私が学生の当時、なんでそんな学部・学科目指すんだろうとか思った友達とか何人もいたんですけど、逆にそういった友達の方が今はうまくやっていたりしますね。大学の先生になったり、企業で第一線で活躍していたり、研究で成果を残したりって、うらやましい限りです。
「なんでそんな学科を目指す」って周囲から言われても、それを気にせず、自分のやりたいことがあるから選択するっていう強い動機や意志があって進学し、就職や研究の道に邁進したわけで、それが成功の一番の要因だと思います。
ただ、もっと穿った見方をすると、
そういった学科は人気もあまり高くなかったわけで、競争についても、人気のあるところに比べたら優秀な人が集まりにくい、故に競争(入試の競争も入学後の競争も)も厳しくない、その中で頑張ると、人気のあるところに比べたら目立ちますよね、それが良かったんじゃないかと。本当に穿った見方ですけど。だって、人気のあるところだと、本当に競争厳しいので、相当に優秀じゃないと目立ちませんからね。
あとは、人がやっていないようなとか人がまだ着手しはじめたくらいの新しい領域(珍しい領域)にすすんだ友達も、今や相当活躍してますね。(新しい領域に進んだ私の友達はそれほど優秀ではなかったんですよね。世間的にいう一流企業とかには就職なんてできないくらいだし、でも今や成功している)「そういう仕事もこれからはあるし必要なんだろうけど、やっている人はいないし、正直一般的に知られていないし本当に大丈夫なんだろうか、一般的な仕事をしたほうが安心だと思うけどな!」「まぁ、最先端の感じがするけど、いまいちイメージができなくよくわかんないや」とか私だとそんなことを思うような領域だったんですが、そういう領域に進んだ友達は、本人的には面白そう、何か新しいことができそうだからワクワクするという動機で進んでいたような記憶があります。
まぁ、こういった、時代の変化によって新しくできたような領域だと、まず新しい分野だからそれができる人が少ない、研究成果も少ない、だから活躍できる余地は大いに残されているわけです。ある一定の成果を出せばちょっとした有名人ですよね。そこまでいかないにしても、そこで、少しでも力をつけると、新しい領域では、それができる人が少ない(経験者が少ない)ことから、エンプロイアビリティが高まり、将来に渡って雇用という意味においては相当に強みを持ちますよね。
こうやってちょっと思い出しただけでも、
本当に人生いろいろ、最後の最後までわからない、故に選択した段階では当然それが正解かどうかなんてわからないですよね。
こうやってちょっと思い出しただけでも、
本当に人生いろいろ、最後の最後までわからない、故に選択した段階では当然それが正解かどうかなんてわからないですよね。
「今の小学生のうち65%は、今存在しない仕事につく」っていうこの一文だけ見ただけでも、いろいろなことを思い出しましたし、それゆえにいろいろと考えさせられましたね。
まぁ、
コラムに書いたようなケースや事実と「今の小学生のうち65%は、今存在しない仕事につく」だろうという事実を重ね合わせたときに、じゃあ子育てについて、教育についてどうするのっていうことをもっともっと広い視野でもっともっと真剣に考えなければいけないと、つくづく思いました。
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