私の父は、2000年くらいまで40年くらい高校教諭をしていました。
まだ私が小学生とか中学生の頃(30年くらい前)に今でいうところの地頭について、父がちょくちょく語っていました。父はそれまでに公立のトップ校、二番手校、三番手校の学校のそれぞれに勤務していたわけなんですが、父曰く、「やはり、トップ校の生徒は地頭がいい」ということでした。テストの出来がよくない生徒であっても、やはりさすがと思えるところがあったみたいです。(テストの出来という面では見えない、地頭のよさ、能力の高さを感じとれる場面に幾度となく直面していたみたいです。)「あいつも、勉強すれば、もっとできるようになるのに」とよくいっていました。だからやはり地頭がいいというのはあるのかもしれません。
地方の名門進学校の高校進学については、地域の中学生の中から次第に選抜されていくわけですが、私の実感としては無理に勉強して力づくで入学するというより、家庭環境や本人の能力によって自然と選抜されているといった感じを受けています。(今はどうかわかりませんが)故にある種のポテンシャルはあるのかもしれません。
名門高校(名門進学校)びいきの表現をすると、高校受験では、同じ地域内で振り分けられることにより、わかりやすく人と違うことを意識させられます。しかも制服・校章等により、どこの高校かも一目瞭然であり、名門高校であればあるほど、見えない周囲からのプラスの視線、期待を受け、羨望の眼差しにふれて日々過ごすことになります。また、学校内に目を向けると、名門高校は自由な校風も学校も多く、そういった中で、変に勉強や規則に縛られることなく先生方も生徒を大人として接し、自由な発想が可能な環境の中で、文化的同質性が高い同級生との本音のぶつかり合いの中で刺激し合い、自己への理解・価値観・行動規範を強固にしていく、こういった学校内外での周囲とのかかわりの中で、その土地の名門高校出身者ならではの自分の核というものが確立するのではないかと思いますね。その一つはプライドではあるんですけど・・・
しかし恩師曰く「名門高校の生徒はそもそも自分自身の能力にそれなりの自信を持っているし、プライドもある。プライドを傷つけたくないから努力して結果を出そうとするんだよね。これってすばらしいことだと思うよ。」だと。
10年くらい前から就職の新卒採用でも出身高校を見るということを雑誌等でも紹介されています。
新卒採用において出身高校を見るということについては
プレジデント2004年11月15日号の「大学と出世」の中の有力人事部の本音「使える大学、使えない大学」という記事の中でこういったやり取りがあります。
以下抜粋
『建設会社人事:大学も指標の一つだけど、高校もちゃんとチェックしている。こいつは地頭がいいかどうか見るわけだ。大学は受験を一生懸命やれば入るが、中学から高校に入る場合は素質が大きい。いい高校を出ている学生であればたとえ二流大学であっても、1.5流の大学よりは底力は上と見るね。①地方の伝統校出身者を採用しているけど、いい意味のプライドを持っているし、実際に会社に入っても、がんばって結果を出しているやつが結構いる。
機械会社人事:僕も出身高校は見ている。②高校受験はそんなに勉強しない。高校を見るのは地頭がいいかどうかのモノサシになる。それから面接で必ずする質問は高校時代に得意だった科目。3つ挙げろと聞くと技術系での化学、物理、数学という順番でいうか、あるいは数学、物理、化学とか違う答え方をする。事務系でも社会、国語、英語が好きなタイプがいる一方、数学が好きなタイプがいる。なぜそう聞くかというと、数学な好きな場合は、論理性に強いかどうかを見ている。これ以上言うと、こちらの手の内をさらけ出すことになるから言わないけどね。
IT人事:頭のよし悪しはじつはどこの高校に行っているかで如実に表れている。経験から言うと、一般受験でいい高校に入ったやつは地頭がいい可能性は高いね。あと、東大や早慶のなかでも地方の伝統高出身のやつに使えるやつが多い。③東京の有名進学校は合格するためにシステムが確立している。僕に言わせればセルフマネジメントを発揮せずに大学に入れちゃう。基本的にはそれは受け身の学習能力であって、そういう意味では地方から有名大学に行っている学生の方が使えるかなという期待感はあるね。
通信人事:大学は二流だけど、しっかりしているなと思って出身高校を見ると、ああやっぱりと思うことはあるね。ただ、逆にレベルの高い高校からたいしたことのない大学に行った学生というのは、踏み外したやつもいる。そういう学生は非常に微妙で、かえっておもしろい学生もいるが、斜に構えすぎちゃって結局仕事もしない。言うことはりっぱなんだけどちっとも行動しない。「言っていることは正論だけど、だったらお前、少しはやれよ」というタイプもいるからね。ここは要チェックだね。』
私個人として気になる部分を下線にしてちょっとコメントを入れたいと思っています。
※上記の下線部①のプライドという点について
プレジデント2008年10月13日号の「あの名門高校にこの有名OBあり」の記事の中でもこう書かれています。
以下抜粋
『~むしろ、はっきりとした形での歴史的連続性があるのは「一中」である。都道府県のなかには一中という名前の旧制中学がなかったところもあるが、それと同じような存在はどの都道府県にも必ずある。なぜなら1886(明治19)年、政府が各府県内の尋常中学(旧制中学)を1校だけに集約しているからだ。その後身がいわゆる一中にあたり、いまでも県内一の名門高校であるケースが多いのだ。興味深い点は、旧制一中を前身とする高校では、いまも「地域を支えていくのは我々だ」といった自負があり、よくも悪くもプライドが高いことだ。』 私自身、なるほど、確かにと思ってしまいました!
※上記の下線部②の高校受験は勉強しないという点について
最近思うことは、公立高校受験においても、必要以上に塾が受験テクニックを伝授しており、中学の段階からそういった受験テクニックの詰め込みが以前に比べて活発化しているような気がします。塾も生き残りに必死なので、高校受験メインの塾であれば、高校に合格させるために必死であるのはある種仕方がない気がするが・・・。だからトップ校に入る生徒がどんどん小粒になっている気がして仕方がないのです。
昔はそこまで勉強はしなかったけどなぁと。昔は荒削りだけどすごい奴っていうのがいたような。あとでこぼこが多くてもある部分は圧倒的にすごい奴とか。
受験!受験!と受験競争がなんとなく全体的に広がっているのに、今の方が学力レベルは下がっている、どういうことって感じもありますが。あくまで私の私見です。
受験!受験!と受験競争がなんとなく全体的に広がっているのに、今の方が学力レベルは下がっている、どういうことって感じもありますが。あくまで私の私見です。
※上記の下線部③のセルフマネジメント~という点について
最近は、地方の名門高校であっても、自律的に学習するということができなくなってきているようです。ほったらかしにしても昔は大丈夫だった、でも今はほったらかしにしていると本当に何もせず、進学が壊滅的な状況になるという話しを聞いたことがあります。だから、がんがん補習を入れて、勉強させるようになっているとのことです。だとすると、地方の名門校でも一部の生徒を除き、これはもう当てはまらなくなっているかもしれません。(静岡県立静岡高校「初期指導強化」の記事にその状況を垣間見ることができます。)
最近では、たとえ地方の名門高校であっても、20年前と比較してレベルが下がってきた感じがしますし、昔の出身者と比較して持っている能力・行動規範等も変化してきているような気がしますので、こういう見方・視点は必要で当然ありだとは思いますが、慎重にしなければいけないような気もしています。
就職の新卒採用については、あるブログにこんな記載がありました。参考まで。
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