2012年9月29日土曜日

大学1年次教育の事例・・・おもしろい!

「学力・成績を向上させる方法論を開発する」とかなんとか、最近、私の周りは、なんだか騒がしい・・・

まぁ、そんなことを意識の中に入れていたら、

名古屋大学高等教育研究センターの111回招聘セミナー「学習研究が教育改革・FD/SDにどのような影響を与えるのか」の案内文が目に入ってきました。

学習研究・・・へぇ~、最近そんな研究があるんだなと。なにやら、『教育が「教える学問」であるのに対して、学習研究は「学ぶことの学問」』だと。

なにやら面白そうだと思い、このセミナーの講演者(島根大学教育開発センター・森准教授)がどんな研究をしているのか探そうと思い、また探していると


「学部とセンターにより1年次カリキュラムのデザイン研究 -学習科学がもたらす新しいFDの形―」
という研究論文がありました。

内容は、というと、

『入学者の多様化が要因となり、授業に参加していても修学が困難な学生の増加が深刻化していている。基礎からの積み上げが基本となる理工系教育においては、入学当初の基礎学力不足がそのまま専門基礎教育科目の単位取得を困難にし、専門教育へも大きく影響を与えてしまう。(中略)このような層が年々増加しつつなることから、成績の分布は常に二極化し、下位層の留年率は年々高くなっている』
特に理工系学部ではこういった問題の解決は喫緊の課題であり、そういった問題意識の中で生まれた取り組みですね。
FDの目的を「学生の学習効果を最大限に高めること」に据え、これまでの狭義のFD活動に加え、教育改善の役割を新たに担うことになった。(中略)総合理工学部の現状を改善することが本センターのミッション。』とのこと。

1年次の学生の学習効果を最大限に高めるために行った具体的なことがこの研究論文の中で紹介されています。
     認知的徒弟制を用いてメンター制度の構築
     データ収集し、学生一人ひとりのプロファイルシートを作成
     実施組織の組織構築
大きくはこの3つではないかと思いますが。

そして結果検証としてはこの2つを実施しています。
各授業の成績検証として
     前年度の年度間比較
     学習室の利用者と非利用者比較


この論文の中で、私が気になったのは
メンターの役割です。
メンターの役割は
スタート時は基礎物理学A(力学)の中で実施する演習の補助と学習室の運営でしたが、後期からは、それに加え「授業外課題の作成」が追加されたと。

この「授業外課題の作成」というものがポイントで、

この「授業外課題の作成」というものは、メンターは授業の進行状況を見ながら、ここはメンティがつまづくであろうと思われる箇所を抽出、そしてその課題に関する考え方をいくつかの小問題に分割して提示し、1から順に解いていけばその問題への考え方が理解できるような導出形式の課題を作成するというものなんです。

そして、これをやった結果・・・


論文の中の言葉をそのまま紹介すると、
『(中略)メンターの提案で実施した課題作成の効果を述べている。これは同じコミュニティにおける先輩としてのスキャフォールディングであると考えられる。スキャフォールディングは、単なる学習サポートではなく、メンティが対峙する課題に関して、メンティの状況に合わせて調整し、結果としてはコミュニティの一員として独り立ちできるようにサポートを行うことを意味する。このメンティの発言に関してメンター自身も次のように述べている。「自習室より問題(作成)の効果の割合の方が大きかったと思います。メンター、は学生と年齢が近い分、学生がどこでつまづくのかが分かります。また、これは僕の偏見ですが、先生たちは、かなり頭の良い人(能力が高い人)たちなので学生がどこでつまづくのか理解しにくいのかもしれません」(中略)初学者が抱える諸問題の解決に関しては、その問題を同じ文脈において乗り越えてきたメンターにしか成し得ないスキャフォールディングが存在することが容易に理解できる。』と。この論文には「兄弟子特有のスキャフォールディング」の存在と書いてありますが。

要は、非常に有効に作用し、大きな成果に結びついたと。そして、その構造もわかりやすく説明がされています。

素晴らしい!!



とかとか・・・・興味深い内容がたくさん詰まっています。
本当は、もっともっと紹介したいんですが、もっと知りたい方は論文をご覧になってください。


この論文には、これ以外にも、いろいろな知見が詰まっているので是非、ご覧になるとよいと思います。

実践・研究をした結果を論文として言語化されると、改めて、なるほどって思うことが沢山あります。
こういった文献などを通じて、学力を伸ばすということについて、より深く考えるきっかけになればいいなとつくづく思いました。

2012年9月12日水曜日

生徒に変化が生まれた・・・「昨日までの自分を乗り越えるために」教育と探求社の授業記録を読んで

「教育と探求社」という、クエストエデュケーションプログラムというキャリア教育の学習プログラムを提供している会社があります。(取締役には一橋大学の米倉誠一郎教授も名を連ねています。すごい・・・)
そもそも、私がこの会社やプログラムを知った経緯は
懇意にさせていただいているある私立高校の校長先生から教えていただいたことがきっかけでした。数多くの学校から評価をされているとのことで、実在する企業からの「ミッション」が教材という実践的なプログラムを提供している会社のようですね。(協賛企業も大手企業が多い!!)

このプログラムを通じての授業記録がホームページにのっていまして、その中で個人的に非常に興味をひいた記事がありましたので、今回紹介しようと思いました。

その記事は、下記の記事です。

「探求する生徒たち」昨日までの自分を乗り越えるために
 
この記事に非常に感銘を受けました。


「生徒たちに変化が生まれる」   

これは本当に簡単なことではありません。めちゃくちゃ難しいことです。
正直、覚悟を決めて、本気でやらなければできません。そうしてやったとしても、なかなか思い通りにはいきません。それくらい難しいことです。
だからこそ、明らかな変化というよりも、小さな変化や兆しも見逃さないということが特に大事ですし、それができるには相当、高い意識と訓練が必要だと思っています。
私は以前、企業向けのモチベーション?研修のファシリテーターをやっていたのですが、そこで、この難しさというものを実体験として経験しています。
「変化を生む」この難しさというものを身にしみて感じていますから、昔の自分を思い出しながら、この記事に入り込むような感じで読んでいました。


記事を読む中で、「生徒たちに変化が生まれる」、これができた背景には2点あると私は思いました。
1点目は生徒にどうなってほしいのか、どういうことを掴んでほしいのかということを、先生自身が、はっきり自分の中に置いているという点、
2点目は、生徒に掴んでもらうためにどうしたらいいのかという、生徒に関わる姿勢、生徒に向き合う構えがしっかりしていたという点(「先生が覚悟を決めた」というのも非常に重要な要素ですね。こういった決めがないと絶対にダメですからね。)
だと思いました。

1点目を記事の中の言葉を使って具体的にいうと、
「全員が悔いを残さずやり切ること」を目標として据え、そのために「目の前に立ちはだかる問題から目を逸らさず立ち向かっていく」という姿勢を生徒に身につけさせると決めた、そういうことを先生の中にはっきり置いたということだと思います。

2点目を記事の中の言葉を使って具体的にいうと
生徒に向き合う構えとして、先生の中でもいろいろな葛藤や試行錯誤がある中で、「昨日まで乗り越えられなかったことを乗り越えさせること」をさせたいという先生自身の強い想いと、生徒の可能性を信じ、生徒が成長することを信じ、先生が覚悟を決め、生徒と真正面から向き合ったということだと思います。


さらに、この記事の最後の方に、下記のような記述があります。
『彼女は私に教えてくれた。
「大人の都合で生徒の行動を無理矢理変えようとするのではなく、この子が自ら動き出すまで辛抱強く待つこと」を。「純粋な気持ちで生徒の変化を願ったときに、その気持ちは生徒に伝わること」を。』と。
この掴んだことも素晴らしい!
先生も、こういった実体験を通じて、生徒に関わる姿勢・生徒に向き合う構えを、改めて自分なりに振り返り、そしてまた新しいことを掴み、体に刻み込ませ、さらには言語化して確定させている、これもまた大切なことだと思いました。これが次に繋がるんですよね。
特に、生徒に向き合う構えというのは、こういった実体験の中で、試行錯誤や悩みを繰り返すからこそ、頭で、ではなく、体に刻み込まれるわけで、こういったことが本当に大事で、そういう体験を経た人間でなければ、絶対にできないことだと思いますから。
最初はみんなできません。でもこういった経験を繰り返し、常に振り返り、いろいろなケースの中でいろいろなことを掴み、そして言語化し、確定し、また、次に進む、失敗するかもしれない、でもまたそこで悩み、進んでいく、こういったことで、どんどん先生も成長していくのだと思います。

いろいろな角度から見ても、この記事(事例)は素晴らしいと思いました。
そして実感のこもった素晴らしい記事だと思いました。



この機会に、「生徒に関わる姿勢」について、私の意見をこの記事に関連してちょっとだけ書かせていただこうかなと思います。
私は、
生徒の気づきや成長を信じる、可能性を信じる、この子なら必ずできると信じて待つ、もしかしたら生徒から裏切られるかもしれないというリスクもひっくるめて信じて待つ、まずは、このことは本当に大切なことだと思っています。
(追加していうと、相手を信じる・信頼するということは、相手(生徒)も大きな負担を負うということで、その大きな負担のイメージもきちんと意識していなくてはいけないとも思います。先生はリスクテイクしつつ、生徒が負う負担のイメージも意識するということを両方するということですね。)
また、生徒を本気で信じることができるには、生徒を真正面から見つめ、その生徒の持つ力・強み・よさを本当の意味で先生が掴んでいる・感じ取っている・理解できているからであり、それだからこそ、そこに信頼ポイントをおいて信じて(成長を信じて・可能性を信じて・可能性にかけて)、待つことができるわけです。そしてこれがあるから先生も純粋にしかも本気で生徒に関わっていくことができるのだと思います。
当然、生徒は逃げようとすることもあるでしょう、でも、そんなときでも、先生達は「私は、君のこの部分に信頼をおいて成長を信じ、可能性にかけたんだ」っていう本気の気持ちがあるから、生徒に真っ直ぐに真剣に怒ることができると思います。たとえ怒ったとしても、生徒は先生方が自分達を見る眼差しの本気さ・真っ直ぐさ、自分を本気で信じてくれている想いを感じとることができるので、先生の想いは伝わることでしょう。

人を育てるということは時間はかかる、もしかしたらどれだけ時間がかかってもうまくいかないかもしれない、生徒がどこで、いつ、はねるかもわからない、でも信じて前向きに辛抱強く待つ、小さな変化・兆しも見逃さないで関わっていく、そういったことを辛抱強く時間をかけて繰り返すことで、そして生徒は変わっていく、成長していく・・・そんな感じではないでしょうか。


とりとめのない文(いつもですが・・・)になりましたが、今日はここまでにします。