2012年10月29日月曜日

受験勉強を受験だけのために終わらせるのはもったいない!【後編】(保護者はどう接すればよいのか)

今回は、前回の引き続きですが、保護者はどう接すればよいのかということについてちょっと書いてきたいと思います。

「大学受験の勉強を「社会」で生きる力に」(Benesse教育情報サイト)のコラムの中では、保護者はどう接すればよいのかということについての記載もあります。

以下抜粋。
『(中略)では保護者はどう受験生に接すればよいのでしょうか。関根校長は「基本的には見守ることが大切。あえて言葉を掛けるとしたら『自分の最大の見方は自分だよ』『自分の未来を切り開いてね』『わたしの高校のころよりがんばっているね』と、自立しようと自分でがんばろうとしている我が子を支える言葉が必要です」とアドバイスしています。』

見守るって大事ですよね。でも見守るためには、親の方は結構我慢も必要なんですよね。
自分におきかえると、自分が学生の頃って、勉強しなきゃって思うけど、やっぱりやりたくないな~と思う、それで、寝そべってみたり、漫画読んでみたり、なんとなく無駄な動作を繰り返してみたりする、でもよくよく考えると、こういったことをやりながらも勉強をはじめるタイミングを自分なりに考えているんですよね。なのにも関わらず、親が、そういった子どもの行動に耐えられなくなり「勉強しろ!」を吼える、自分としては「今から勉強しようと思ったのに」って言い返す、さらに親は自分がダラダラしているのを見ているから「勉強する気なんてなかったでしょ!だから言ったのよ!」ってさらに責める、それで本人は本当に勉強する気が失せてしまうって悪循環に陥ってしまう・・・
だから見守る親の方には相当な我慢が求められるような気がします。
あともうちょっと親が我慢してくれていればスムーズに勉強に移行できたのになぁってことって経験あるんじゃないですかね?

確かに親は、こういった子供の態度を見ると不安になると思います。しかし、親はもっと大きく構えて子供を信じて、見守ってあげるという姿勢がやはり大事だなって思います。

「母親のための大学入試トラの巻」(著者 河合塾進学教育本部長 丹羽健夫 中央公論社 1983年)には親のタイプを大きく5パターンで表現しています。
・おしゃか様型(この本では「入試の仕組みや、子供が目標としている大学のむずかしさの度合について、自分なりに研究しておよその知識を持っておられ、また子供の学力もほどほどに理解して見守っておられるタイプ。期待をもちながら、ときには、さながら掌の上に子供をのせているかのようにたくみに学習意欲を引き出してゆかれるお母さん」)
・東郷元帥の母親型(この本では「何もご存知ないお母さん。それも徹底してご存知ないお母さん」)
・諸悪の根元型(この本では「なまじ中途半端にご存知のために、たえず子供につっかかるお母さん」)
・中流願望慢性イライラ型
・直前狂乱型
この5パターン。
『諸悪の根元型、直前狂乱型は受験の片寄った知識しかもたず、もろに受験生の足をひっぱるタイプ』と書いてあります。また『慢性イライラ型は、もっとも一般的なパターンでお一人でイライラしているのだから害はないように見えますが、実は母親のイライラの投影がまともに子供にあらわれます。このパターンのお母さんのイライラもまさに受験に対する無知からきています。大人のようでも受験生は、母親の一挙一動に鋭敏で、自分でもイライラを背負い込んでしまい落ち込んでしまって集中出来なくなるのです。』と書いてあります。
みなさんはどのタイプになりますかね?
この本でも見守るタイプの母親である、「おしゃか様型」「東郷元帥の母親型」が受験生の味方だと書いてありますね。

※ちなみにこの本の刊行の狙いをこう記しています。『本来受験は、「自分の目標のために、すべての時間、すべてのエネルギーを投入出来る」たいへんめぐまれたチャンスであるはずです。一生を通じてこんなぜいたくな時間を子供が持つことは二度とないでしょう。そのめぐまれた時に、豊かな色どりをそえ、稔りある収穫をもたらすために、是非お母さん方に知っていただきたいのです。これが本書刊行のねらいです。』と。本当にそう思います。子供の受験の時期というのはそういった貴重な時期なのです。そんなことを頭に置いていただきながら、お子さんに触れ合っていただきたいなと思います。

そういえば、ツイッターにこんな書き込みがありました。
「過去の教え子で入試直前期のプレッシャーに耐えられず、入試と塾を辞めた子が3名いる。全員幼少期に同じような言葉を母親から受けている。「お前なんて生まれなければ良かった」「お前の存在自体が邪魔なんだよ」「お前なんかいなくなればいい」以上の言葉は、後々間違いなく子どもに影響を及ぼす。」と。
衝撃的な内容で、えって感じる方もいるかもしれませんが、こういった事例も現実にはあるということですね。存在を否定するなんて、本当にひどい話ですが・・・
一番身近な存在である親から、こういった言葉を、しかも幼少期から積み重なって言われつづけていると、本人の心の拠り所もなくなるし、逃げ道もなくなるし・・・つらいですよね・・・
(大人になってからだって、身近にいる人の心無いひと言でも、心がえぐられるような思いとしたり、やる気を失ったりするものですから、幼少期にこういった言葉で受ける傷は、想像を絶するものだと容易に推測できます。)
存在を否定されて育った子や、親から承認されてこなかった子や、無償の愛を受けずに育ったりした子は、最後の拠り所となる基盤が脆弱で、こういったプレッシャーのかかる時期に踏ん張りが利かなくなるのかもしれません(こういった点は詳しくないので私見ですが)・・・しかし本当に悲しいことです!!
こういった事例を見ると、学校や塾ができることは限られているわけで、家庭教育、子育て、親がどう子どもに向き合うか、って本当に重要なんだなって思いますね。
もし言葉をかけるのであれば、相手の置かれている状況を頭に描いて、前にころぶような言葉をかけてあげてほしいものです。それができていれば、さりげない言葉でも、本人にとってはすごく大きな支えになったり、やる気につながるものですから。

子育てや人材育成、教育に関する教育コンサルトのブログ(「人を育て、人から信頼される「教育スキル」)に、なるほどって思うことが書いてありましたので一部紹介します。
『子どもを変えたいのならば、親の器を大きくすることに尽きる』と。

『一番良くないのは感情に任せて子どもを細々と叱ることだ。それは子どもを萎縮させる。親の顔色を伺うようになった子どもの世界は小さくなる』と。

こういうものを読むと、受験期の接し方だけでなく、子供が生まれてから今に至るまでどう接してきたのかという子育てにまで話しが及んでいきます。

そう思うと、実際は本当に奥が深いというか根が深い話になるんですよね。

いろいろな意見や考えはあると思いますが、子供とともにいろいろなイベントを経験し、又、
いろいろなものを見たり読んだり考えながら、自分も振り返り、真摯に受け止め、反省すべきところは反省し、親の方も成長していかないといけないということですかね。
子供も親もいくつになっても勉強と経験と成長をしていくわけですね。


※ちなみにこんな記事もありました。参考まで。
 『幼児期の虐待、うつ病のきっかけになる可能性 米研究』(AFPBB News)


 
  『32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」』  (WIRED NEWS 2012.8.24)
   ↑この記事は両親との関係性のことについて言及しています。

受験勉強を受験だけのためで終わらせるのはもったいない!【前編】

こんなコラムがありました。


このコラムの中で、下記の記載がありました。
以下抜粋。
『(中略)受験勉強は、その後の人生にも大いに活かせる可能性を秘めています。「学びのサプリ」という独自の勉強法を提唱している私立開智未来中学校・高等学校(埼玉県)の関根均校長は「大学受験は、初めて一人で立ち向かう困難であり、自立する契機です」と指摘しています。合格に向けて計画する力や、その計画を実行する力が、社会人になってからも必要とされる力(企画力・行動力)につながるからです。さらに受験を通じて「整理、思考、記憶」の基本的スキルを身につければ「一生使えます」と関根校長は強調します。』

まさに、おっしゃる通り!私も同感です!
受験勉強を通じて、学力向上だけでなく、プラスαの社会で生きる力がつけば、それは素晴らしいことだと思います。こういった貴重な機会を本当の意味で活かして成長しているということになりますからね。

上記に関連することになりますが、ツイッターである方が「受験勉強は限られた時間で成果を最大にするというタイムマネジメントの訓練にもなる」と。
確かにそうだな~って思いますね。
目標を決めて限られた期間の中で最大の成果を出すという力・やり方・進め方、そしてそれをやり切る精神力・高い意識・集中力といったものを、私の周りにいた優秀な友達、会社に入ってから見てきた優秀な先輩・同僚は確かに、持っていたし、そういった部分に強かった。そして、会社に入って十分にその部分を活かしているという実感は受けましたね。こういった優秀な方達はやはり受験勉強も頑張ってやり切って成果を出してきた方達でしたから、やはり受験勉強ではそういった部分は鍛えられるんだろうと思いますし、実際、そこで身につけた力は社会で活きるものだと思いますね。


プラスして私が思うことが2点ありまして

まず1点は、
その手前の部分の「やる気を引き出す」「動機付けをする」というものも重要だと思っています。
私もそうでしたが、あまり気が乗らないとか、そもそもエネルギーが低下している時っていうのは、目の前の現実を見ても問題ばかりに目がいってしまい、できない理由を探したりして負のループが始まり、前に進めないんですよね、逆にやる気に満ち溢れて、エネルギーがあると、現実を直視して思考が始まると思うわけです。
だから、「どうやる気を引き出すか」「どう動機付けさせるか」といった、物事をやる手前の部分でのやる気を引き出すためのアプローチは非常に重要で、さらには本人がそれを通じて、本人の自己理解が進み、やる気の引き出し方を身につけることができれば、これも社会に出てから非常に役に立つと思います。
極論言ってしまえば、やる気を引き出すことさえできれば、あとは自分で今の現実を見て動き出すと思うわけです。試行錯誤はするが、何を使おうともそれなりに力はつくだろうし、何より良いことは自分で考えて動くから自律的な人間にも成長すると思うわけです。

もう1つは、上記のコラムにも「大学受験は、初めて一人で立ち向かう困難であり・・・」
と書いてありましたが、確かに、大学合格を手にするまで、自分の目の前に様々な困難が立ちはだかると思います。従って、受験を通じて、そういった困難が立ちはだかったときに、どう思考していくのかという「困難に対する見方・感じ方」っていうものを身につけられるようにするためのアプローチも重要だと思います。(こういうことを意識して接することが大事だという表現をした方がいいかもしれませんね。)これは先生を含めて周囲の方々のサポートが非常に必要ですが、こういった見方・感じ方をこの時期に身につけることも、社会に出てから、非常に役に立つことだと思います。

ただ、どうも、私はモチベーションに偏る傾向がありますが・・・
最近思うことは、「やる気を引き出す」とか「見方・感じ方を身につけさせる」(特に見方・感じ方については、家庭教育と通じて伝えてくれていればいいのですが、なかなか伝え切れていない感じもしますので家庭外でこういったものを身につけさせたいと思っていますが)っていうのはそれでさえ、実際は非常に難しいことなんですが、それだけでは実は足りなくて、やはり「やる気が出て、よいやるぞ」って感じになった生徒に対して、今度は具体的な進め方を提示できる手法論(目標に向けた道筋)をある程度こちら側が持ちあわせていないといけないと思っています。そうでないと、結局、それをこちら側が持ち合わせていないせいでせっかく出たやる気を失わせてしまいかねない・・これでは元も子もないですからね。


話しは少し変わりますが、
最近は、私立高校だけでなく、公立高校も高校1年の段階から各教科で副教材や課題を結構出されているようですね。(全国的な傾向かはわかりませんが・・・)
公立高校優位のある地方都市では、その学区(周辺人口40万人規模の学区)の1番手だけでなく3番手クラスの公立高校までもが、かなりの課題を出しているようです。どこぞの教育委員会が学校側に学校計画とかなんとか言って目標立てさせたりしてプレッシャーかけていて、学校側もとりあえずやらせるかってな感じになっているんじゃないかって思うくらいですよ。
部活動もあり、さらに塾もありって、ちょっとやりすぎなんじゃないって思うくらいです。それじゃあ、虻蜂取らずになってしまいますよね!
この参考書をまずは完璧にするんだっていう感じで、的を絞って繰り返しやった方がいいように思うのは私だけでしょうかね。
若しくはこれとこれをやれば○○大学は確実だからと、目標を決めて、マイルストーンを個々に置いてあげて、この時期にこれをこうやって使ってとか指導し、ある程度的を絞ってこれだけを徹底的に繰り返しやれ、とかそんな感じの指導をして、徹底的にやりきらせるほうがよいのではと思うんですが・・そうやって、1つのものでもやり切ることで見えてくるものも多いと思うわけで。そしてそれを積み重ねていく、そのほうが分かりやすいですよね。
(あと、学校のOBで、それぞれの大学に合格した生徒のライフスタイル、使った参考書、その参考書の使い方(時期)、どこでつまづいたか、いくつがぶつかった壁・その乗り越え方・掴んだこと、模試の成績推移、親子関係(家庭環境)、学校での生徒や先生との関係、課外活動の状況など、その生徒たちの3年間が映像で見えるくらいのケース集をいうのをつくるのも1つかもしれません。自分の学校の先輩がどうやって成長していったのかとかどうやって壁を乗り越え栄光を掴んだのかっていうのが、良い点悪い点を含めてすべてが手に取るようにみえるようなものがあると、素敵かなって思います。生徒も自分の学校の先輩の合格までの軌跡ということもあり、実際リアルに受け止めますし、参考になるものだと思います。ただ、こういったものを作成するもの、これまたなかなか難しいですがね。。)

そんなこんなをいろいろなことを考えていると、ふと思い出したのが
ですね。
学習コーチなるものがあるんですね。
この会社の存在は昔の同僚に教えてもらったんですが、ホームページを拝見させていただきましたが、なかなか凄いなぁっていう印象です。
元々のベースにある考え方や理念にも非常に共感できるし、指導へのこだわりについても私が考えるそのものずばりを書いています。(ちょっと偉そうに書いてしまいましてすみません・・・)
東大大学院教育学研究科の方がやられているということもあり、教育学等の知見を取り入れているところにも魅力を感じます。←私も教育社会学をかじっていたこともあって、この部分は強烈に魅力に感じるんですよね。
ホームページをざっと拝見させていただいただけですが、直感的に本物感を感じます。
代表のツイッターを読ませていただくと、最近でも日大藤沢高校へ講演に行かれ、大好評だったとのことで、どんどん活動の範囲を広げられています。

受験についても、ただ勉強するとかテクニックを教えるとかではなく、例えば「社会で生きる力」を獲得する1つの大きな機会として受験を捉えてアプローチしたりとか、教育学の理論をベースにアプローチするとか、様々なアプローチが増えてくることは非常に喜ばしいことですね。


※余談ですが、大学入試も今後変わっていくようですね。いつの段階でどこまで具体的なものになるのかわかりませんが・・
高大接続の話しというものは一般には非常に馴染みが薄いかもしれませんが、高大接続を意識した大学の入試改革の必要性の議論は以前から大学関係者や教育系の研究者の中でさかんに議論されていましたが、ようやく本格的に中央教育審議会が大学入試の改革を審議し始めたとのことです。
この記事を読む限りでは大学入試も今後本格的に変わっていくのだろうなぁと少し思いました。
ただ、共通一次にしろ、センター試験にしろ、改革が改悪にあるケースも多いので、現状をしっかり把握した上で、意味のある改革を実行して欲しいと思います。

しかし、学校教育しかり、大学入試しかり、教育の転換期なんですね。(少し遅い気はしますが)

学歴の影響力とはいつまで続くのか

読売新聞の記事(2012925朝刊掲載らしい)にこんな記載がありました。
私は最近、この記事をネットで見つけたのですが。


内容としては
・特に選抜初期段階で、学歴を選抜のツールとしているようです。
・採用後期は人物で判定された部分が大きいでしょう。
・入社した後の活躍ぶりと学歴は、あまり相関関係がないと感じている企業人は少なくないでしょう。

そんな内容でした。


はて、学歴の影響とは実際いつまで続くでしょうか?本当に就職の選抜初期段階だけでしょうか?未だもってはっきりしたことはいえませんが・・・

また、学歴の影響を就職というその1点においてはよく語られていますが、就職後の影響はどうなんでしょうね~。


以前読んだ本で、学歴の影響という部分に関連する記述がありますので、ちょっと紹介したいと思います。

その本とは『日本のメリトクラシー 構造と心性』(著者 竹内洋 東京大学出版会19957月)
です。
この本については、以前も紹介したことがありますが、日本の選抜システムの中でも受験・就職・昇進の構造等について書かれているものです。(目からうろこ、納得感満載、本当に面白い内容です!)
但し、初版が1995年ですので、データも昔のものを使っており、かなり前の研究結果になりますが、じゃあ今と違うんじゃないのかっていうと、そうとも限らないと思います。非常に重要な知見を提供してくれています。

本の中では「就職と選抜」の中でも面白い記載がありましたが、今回はこの本の中の「昇進と選抜」の部分で学歴の影響という部分だけにフォーカスして関連した興味深い記載を抜粋して紹介します。

以下抜粋
キャリアのパス解析にて(※事例調査企業は、創業は明治時代に遡る大手金融保険会社)
『(中略)大学の難易度は研修後配属先については大きな効果(.591)をもつこともわかる。さらに研修後配属先は課長職Ⅰの選抜に対してかなりの直接効果(.454)をもつこともわかる。研修後配属の直接効果の大きさは二つの解釈が可能である。研修後の配属決定がかなり正確に本人の能力を判定しているという研修後能力判定真正説がひとつの可能な解釈である。もうひとつは、この時期の配属が社会化と訓練効果を媒介にして、本人のその後の能力を決定するという自己成就効果説である。』

この本を読んだのは、まだ私がNTTドコモに勤めていた時代ですが、上記の抜粋した記載だけでなく、他の記載についても、当時、非常に納得感がありました。
上記の抜粋した記載については、自分の会社と照らし合わせてだけでなく、別の会社の大先輩とかに聞いた話もあり、納得してしまいました。

聞いた話とは、
(真偽の程は確かではないのですが)、「旧帝大等の難関大学卒業した人は、初期配属で優秀な先輩や業績の良い部署・支店に配属になる」と。
そうすることで、将来出世していくであろうエリートの方々との人脈ができたり、または業績が良い部署(良い業績が出やすい部署)に配属されたり花形の部署に配属されたりすることで早い段階からそれなりの成果を生むことができ、昇進にも有利になるんだろうなと、話しを聞いた時にそう思いました。
また、実際に配属されて仕事を任せるにしても難関大学出身者であれば、やはり周囲からは優秀であると思われていますので、それ以外の大学出身者に比べて難しい仕事(ストレッチ課題)を早い段階で与えられる機会が多いとも思います。ただ、それを活かすも殺すも本人次第ですが、早い段階で機会を与えられるという意味では難関大学出身者の方が有利ではないかと。そして、その機会を活かすことができれば、さらに難しい仕事(ストレッチ課題)を与えられ、さらに成長していく、そんな循環もあるのではないかと思いました。

余談ですが、
同じ会社に入社はするものの、学歴によって、幹部候補採用とそうじゃないソルジャー部隊採用や地方採用等のように、分けて採用するという会社もありましたし(今は知りませんが)。幹部候補採用であれば、昇進のスピードが違います(スキルをつける機会にも差があると思います)ので、こういったケースは入った時点の学歴で、明らかに昇進(スキルとつける機会)に差をつけられる典型的な例ですね。(国家公務員のキャリア採用がそれにあたると思いますが、民間企業でもありましたね。まぁ、一部の会社だと思いますが。)これは余談です。

何だかんだで学歴って、
こういったことをみていくと、例えば、昇進についても、そのラベルでの直接的な影響ではないにしろ、やはり形を変えて影響を与えているのかなって思いますね。
あくまで私の考えも含まれますが・・・

まぁ、こういった学歴についての議論は永遠に続くのでしょうが、何かの参考にしていただければと思います。




どんな所でも仲間の存在って大きいんですね!

こんな記事がありました。


勉強記録共有SNSの話しではありますが、
「学習分野でも友だちを励ましあって勉強することがモチベーションを高め、継続を促す効果があると分析している」とのこと。

以前、私立F高校の校長先生とお話したときに、こんなことをおっしゃっていました。
「受験は団体戦だと考えており、クラスメイト同士が、ライバルではなく、切磋琢磨する仲間としてうまく機能している。この学校の生徒は、現役時代はクラスメイトとの関わりの中で、その相乗効果で成績が上昇するが、一旦浪人して1人で勉強するという環境になってしまうと一気にダメになってしまう。だから浪人して伸びたという話はあまり聞かない」と。

学校は、なんとなく分かる気がしますが、SNSでも、励ましあう仲間が多くいるっていうのは大きいんですね!アナログ・デジタル関係なくってことですね。