2012年6月25日月曜日

大学④国立大・私立大それぞれの卒業後の進路(1983年版)

今回のデータは19834月にそれぞれの大学の卒業生がどのような進路をたどったかというデータです。(データ参考資料:「母親のための大学入試トラの巻」 1983年中央公論社 著者丹羽健夫)データは若干加工しています。

19833月の卒業生ということになるので、19794月に大学に入学したということになります。1979年に入学したということは、国立大学出身であれば共通一次試験の受験を経て大学に入学した最初の学年ということになります。(1978年までは国立は一期校・二期校制
19833月大学卒業=ストレートで大学に入学したとすると今年で52歳。(1960年生まれ)大手企業に就職している方ですと、部長クラスになっている方もいるくらいの世代ですね。

データ①(就職実績:19833月卒業生の進路:国立大学経済学部編)



データ②(就職実績:19833月卒業生の進路私立大学経済学部編)

一部上場企業+国家公務員+地方公務員+先生への就職率の合計(上記の表の右端の列)の部分で80%以上は赤字(太字)、70%以上80%未満は青字(太字)、50%以上70%未満はピンク(太字)、それ以下を黒字で示しています。


・当時は特に国立大学が強さ(就職においても)を見せつけています。
・経済学部は、旧三商大(一橋大・神戸大・大阪市立大)、旧制高等商業学校母体の大学は、大学の先輩がそれぞれの企業の中心で働いているので、やはり就職は有利ですね。
・当時、就職で国立大学と対等に張り合えるのは私立大学では早慶上智くらいですね。
・成蹊大学の就職状況が良好なのは、元々三菱財閥の協力を得て設立されたこともあり、三菱との関係も強いし、そういった歴史的な背景もあり財界との繋がりが深いためであると思います。
他に、財閥系の関連する大学でいうと、武蔵大学(根津財閥)、東京経済大学(大倉財閥)などがあります。
まぁ、いろいろ見てください。

そういえばこの参考文献にはこういった記載も。↓
『○工学部人気学科は時代とともに変わる
 工学部の各学科の人気度のうつり変りを大ざっぱに申しますと、次の通りです。
  各年代の難関学科は
昭和20年代:化学・鉱山・繊維
昭和30年代:機械・電気
昭和40年代:建築・土木
昭和50年代:電子・情報                         』

確かに、私が小さい頃に、私の父が「秋田大学の鉱山はすごかったからな~。旧制秋田鉱山専門学校だったからな~」と言ってましたわ、そういえば。東北大学の冶金とかも当時はものすごく、超がつくほど難しかったと。今も、東北大学の冶金、東北大学金属材料研究所は最高級の研究所ですけどね。そういえば、あの世紀の発明である「熊大マグネシウム合金」を開発された河村能人教授(熊本大学)は東北大学金属材料研究所のご出身ですね。
先日、60過ぎになる私をかわいがってくださっている某金融機関で常務までされた方が、世間話をしている最中何を思ったのか突然「秋田大学の鉱山って、俺らの時代はすごかったんだぞ~。」っておっしゃってびっくりしましたけど、そう言いたくなるくらいそれくらいすごかったんでしょうね。今は秋田大学鉱山学部という名前ではなくなって、秋田大学工学資源学部って名前に変わってしまいましたが。
まぁ、特に工学部系は時代とともに人気学部は変わっていきますよね。
産業構造の転換」というタイトルでウィキペディアにも時代とともに変わっていることを説明しています。


※近日公開予定のデータ↓
参考文献には文学部、経済学部、理学部、工学部で大学別で、入試難易度ランクのさまざまなポジションから特定の大学をピックアップし、それぞれの大学から就職者数の多い順に10企業を掲載しているデータもあります。懐かしいと感じる方といらっしゃるような、そんなデータです。
但し、データ量が多いので、データを加工するか、どうにかして、近いうちにまた掲載したいと思っています。

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