2012年6月17日日曜日

高校について①各高校の序列・イメージ・文化の変化(入試制度に翻弄されてきた高校)

高校名を聞いて、「○○高校出身なんだ、優秀だね」といった会話がされたりしますよ。
まぁ、とっても普通の会話なんですが、時に僕は違和感を感じるんですよね。
なんでそう感じてしまうかというと、例えば、今現時点でその高校が進学校だったとしても、何年か前、何十年か前はそうでなかったということもあるからです。逆もしかりです。また下がって上がってとか、上がって下がって上がるとかいろいろだと思います。当然それは公立高校にも私立高校にも当てはまります。
今回は、公立高校に焦点を絞ってこの話しをすすめていきたいと思います。

なぜこのようなことになってしまうのか、一つには高校受験の入試制度にあります。
要は、入試制度によって、各高校に集まってくる受験生の層が変わってしまうということです。そうすると当然学生の質等が変わってくるので、同じ高校であっても同じではなくなってしまうわけです。

入試選抜を見ていくと、いろいろな都道府県で様々な選抜制度をやってきました。
単独選抜・総合選抜学校群制度複合選抜が選抜制度にあたります。
現在、総合選抜は京都府の一部の学区のみ、学校群制度については現在すべて廃止しています。また、基本的には同じ選抜をやっていたとしても、学区を大学区にしたり、中学区にしたり、小学区にしたり、ありとあらゆるやり方で、それぞれの都道府県が入試選抜制度に手をつけてきました。
結局、こういう制度により、今まで続いてきたそれぞれの高校が持つカラー・文化・進学実績・価値に影響を与えてきました。当然、受験する生徒にも大きな影響を与えてきました。極端な話、選抜制度を変えれば、今までトップ校だった高校が普通の高校になってしまうこともあります。選抜制度の変更により、今までの学校間の序列やその学校そのものに伝わってきたものというのに大きな影響を与えてしまうということです。

ちょっとした例をいくつかあげてみます。

まずは東京都。東京は有名ですよね。
東京都は1967年~1981年まで学校群制度を実施していました。この学校群制度というものが、東京都立高校に与えた影響は計り知れなかったです。
ちなみに、その前の1965年(学区合同選抜制度)当時のおおよその難易度

学校群導入前は都立高校が全盛でした。1964年東大合格者数のベスト10の内6校は都立高校です。(日比谷193名、西156名、戸山101名、新宿96名、小石川80名、両国64名 ※東大合格高校盛衰史(光文社 小林哲夫著)より)
あのナンバー1スクールの日比谷高校が学校群制度の影響により、1980年には東大合格者が1桁になってしまいました・・・・
東京都の学校群については2003226日(水)読売新聞の論点の中で鹿島茂氏が書かれている文をそのまま抜粋
2003年ということでちょっと内容的に古いですが、辛辣にぶった切っています。
以下抜粋。
『東京の公立高校の学区制が全廃され、旧エリート高校の復活が話題になっている。学校群制度が導入され、都立高校の地盤沈下が始まったのが1967年だから、遅きに失した感はあるが、それでも何も策を講じないよりはましである。とりあえずこの英断に拍手を送りたい。それにしても、小尾教育長(当時)が都民に強制した学校群制度という試みは、レーニンがロシアと近隣諸国に押しつけた共産主義という愚劣極まりない実験にも比せられる暴挙であり、害悪は計り知れない。百年後に「21世紀末における日本の衰退」という現象を検証した歴史家は、その原因の1つとして学校群制度の導入をあげるかもしれない。それ位に、この制度は国家百年の計を誤った大ミステークなのである。
問題は都立高校を軒並み没落させ、私立高校をエリート校化させたという現象面にとどまらない。学校群制度は、占領軍さえ手を付けなかった日本人唯一の財産である「刻苦勉励」というメンタリティーを失わせ、「努力する者がばかを見る」という沈滞した風土を作り上げてしまった元凶なのである。
ではなぜ、このような希代の悪法が一教育長の独断によって36年もの長きにわたってまかり通ったのか。その原因を探ってみると、結局のところ、日本人の胸の底に巣くう俗流平等主義へと行き着く。
(中略)それでも、これで教育上の平等が実現できたのなら、まだ良かった。
だが実態はご覧の通り。エリートは悪法の及ばない私学に逃れ、私立優位が確立したので、子供の将来を思う親たちは時代の流れに逆らわず、高い学費に涙を流しながら子供も私学に入れたのである。ラ・ロシュフーコーが「箴言集」で断言しているように、「自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である」。ゆえに、親たる者、子供をエリートに育てようという自己愛に駆られれば悪法をかいくぐるあらゆる算段をする。もし、日本に私学という抜け道がなかったら、金持ちの親たちは子供を欧米に留学させるという手段を講じたに違いない。
ゆえに、36年に試行錯誤の結論として我々が心に刻むべきは、自己愛は絶対に克服できない以上、教育制度も初めからこれを係数に入れたものにすべきだということである。少しでも良い学校に進んで、エリートになって社会に出たいという子供たちのごく当然に気持ちを圧殺するような制度を二度と作ってはならないのだ。
とはいえ、学区廃止で問題が一挙解決すると思うのは早計である。共産体制が解体されたからといって、すぐにバラ色の社会が生まれたのではないように、学区廃止で旧エリート校がいきなり復活する公算は薄い。36年に及ぶ荒廃で、エリート校時代に蓄積されたノウハウは失われているし、3年間の教育だけで、6年制私学の受験教育に太刀打ちできるとは思えないからだ。
しかし、これで勉学意欲に燃えながら貧しくて私学に進めなかった子供たちにとって、安い学資のエリート校が誕生する可能性が出てきたことは歓迎されて良い。「努力すれば報いられる」。明治の日本を飛躍させたこの教育の原点を忘れてはならないのである。』以上


次に愛知県。旭丘高校を中心に。
愛知県も1973年から1988年まで学校群制度を実施していました。
「東大合格高校盛衰史(光文社2009年 小林哲夫著)」に書かれていますが
名古屋市内の学校群制度は、複数の学群から生徒が均等に配分される仕組みである。第1学群(旭丘と千種)、第2学群(千種と市立菊里)、第3学群(旭丘と市立北)。このなかで、第1、第2学群に成績優秀な生徒が集まったおかげで、千種が「いいとこ取り」してしまう。旭丘がもう1つ所属する第3学群には優秀な生徒がそれほど集まらなかった』

私が予備校時代(1990年頃の話しですが)の友達に旭丘高校出身のS君という子がいまして、その子は2群で旭丘に合格したのですが、曰く2群と3群では入学時点の学力は段違いで違ったそうです。2群で入学してきた子が圧倒的に優秀だそうです。彼は旭丘出身の人を見るたびに「彼は2群、彼は3群」って私に教えてくれました。彼は、めちゃくちゃ性格のいい好青年でしたが、そういわせるくらい学力差があったっていうことです。(もっとも、自分が本来の旭丘高校の生徒だという自負があったとも思います)もっと象徴的な言葉は「旭丘っていっても2群から来た人は旭丘だけど、3群から来た人は旭丘であって旭丘じゃないよ。」って言葉でしたが、なるほどと思いましたね。さらに「千種高校に振り分けられなくてよかった」とも言っていましたね。やはり旭丘に入るのと、千種に入るのではOBの質が全然違いますからね。
但し、愛知県は東京都のように公立が壊滅的にはならず、今でも公立優位で進んでいます。それだけが救いだと思います。学校文化の伝承の面でも。


他にも山梨県。
うちの親の友人のお兄さんが甲府一高から東大へ行って、日銀かなんかに勤めていた方がいましたが、よく「甲府一高はすごい、甲府一高はすごい」とよく聞かされていました。
実際、1966年の甲府一高の東大合格者は22名なので、当時はすごかったんだろうと思います。
しかし1967年総合選抜を導入し、甲府一高つぶしを行い、甲府一高は今も当時の輝きを取り戻せないでいるという状況です。親の代の甲府一高と今の甲府一高では別物といっていいと思います。
他にも、こういったことがいろいろな地域でおこっています。
逆にそういったことが限定的、もしくはそんなに大きな影響を受けていない地域もあります。



多かれ少なかれ、都道府県ではこの長い歴史の中で、いろいろ入試選抜制度を行っています。あまり大きく選抜制度をいじっていない都道府県もありますが、選抜制度によって学校そのものが(入学者の質も含む)変わってしまったところもあるということです。
それだけではなく、都心部では、私立志向の高まりの中、進学に力を入れ、グングン偏差値を上げているところもあります。え?あそこが今はそんなに高いの?っていう私立高校も増えています。

例えば、出身高校を聞くことで、なんとなくその人のなりがわかったりますが、もしその人がどんなレベルなのかとか判断しようとしたりするのであれば、実は入学した時期(何年頃入学したのか)とかということも重要であるということです。そういったことも頭にいれて考えてみると、面白いかと思います。

最後に高校文化という面でいうと、
大学受験は全国津々浦々の大学を受験しますが、高校受験については、基本、自分の居住する地域の学校を受験します。故に、地域性や今までの伝統も相まって、大学よりも高校の方が、高校毎の個性が出やすいような気がします。そのような中で、特に、脈々と続く伝統を持つ高校であれば、それぞれの高校で3年間送ることで、生徒がそれぞれの高校のハビトゥスを無意識の中で身につけていくことになると思います。これはすごい文化的蓄積だと思います。しかし、そういった高校文化や高校で受け継がれてきた遺伝子というものが、入試制度やいろいろな圧力の中で薄まっていく、分断されていくということになれば、本当に悲しいことだと思っています。


さてさて、高校についてもう少し深く知りたければ
「東大合格高校盛衰史」(光文社2009年 小林哲夫著)とか「47都道府県の名門高校」(平凡社新書2008年 八幡和郎著)とかご覧になるとよいかもしれません。
他にも高校関係の本ですと「名門高校人脈」(光文社2005年 鈴木隆祐著)とか宝島からも出ています。また雑誌でも取り上げられていますので、いろいろ見てみるとよいですよ。
こういったことを書いている雑誌のバックナンバーを私は沢山保有していますので、機会を見計らってちょくちょく中身を載せていきます。

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